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東浩紀×市川真人トークショー

11月15日、ブックファースト新宿店で行われた東浩紀さんと市川真人前田塁)さんのトークショーに紛れこんできました。ところでこのイベント先着40人だったのですが、東浩紀さんの最近の勢いを考えるとキャパ40というのは小さすぎるんではないかと思ったのですがいかがでしょうか。
以前東さんや宮台さんの出るパネルディスカッションを観ようとロフトプラスワンに行ったら入り口に「SOLD OUT」って貼ってあってそのままトボトボ帰ったことのある(笑)自分としては、実は結構いるであろう、来たくても来れなかった人達にちょっと思いをはせてしまうのでありました。

以下はトークショー中にとったメモを元にまとめたものです(個人的に重要と思った所だけ拾っていて、ちゃんとした文字起こしのような厳密なものではないので注意されたし)。
トークショーといいつつ実質市川さんによる東さんへの公開インタビューみたいなことになっていたので、ほとんど東さんの発言を拾ってます(市川さんも例の美声でいい仕事しておりましたよ!)。


(まずは市川さんから、小説を書き始めた経緯について東さんに訊く所からスタート)

今は社会学的な(筆者注:実証的な?)知しか通用しなくなっており、ちょっと抽象度の高い言説は受け入れられなくなっている。批評はもはや趣味的にやるしかなく、限界を感じている。
いい文章を書いたり文章をいじったりしたいのだけど、そういうのは必要なくなっている。
そういうことが小説書くことにつながっている。
『キャラクターズ』は「批評家」の延長として書いたもの。「小説家」として書いたのが『ファントム・クォンタム』。

今美的判断をしてはいけないということになっている。相対的になっている。
社会学的な知が優位になっている。

ゼロアカなどで)批評の大事なものを放棄してでも生き延びさせるということをやっているが、それとは別に、自分がいいと思う文章をひっそりと書きたくなった。
(ファントム・クォンタムの)書き手としての僕は純文学の世界に甘えているということになる。
批評家の僕としてはそれは許しがたいことではある。
『ファントム・クォンタム』は書いてて一番楽しくて苦しい。時間もかけている。
今、自己満足的に書いている。『ファントム・クォンタム』はネットなどでまったく反応がないが、それでいいと思ってる。

もともと小説は読むほうで、本棚見ると小説と評論が半分半分になっている。
純文学の自然主義描写は大変。神社にある木の名前をネットで調べたりとかやってる(笑)。

ロスジェネに対して冷ややかなのは、リソース配分の要求でしかなく、知的冒険がないから。もはや政治にイデオロギーが入る余地がない。

あと半年で死ぬとなったら『ファントム・クォンタム』を書く。出版される/されないとか読まれる/読まれないとか関係なく。今東浩紀は死ぬんじゃないかとかいわれてるけど(会場笑い)。

今批評家としての僕は三つくらいの判断基準で動いている。
「言ってることもメチャクチャだし、僕が読者だったらとっくに東浩紀を見捨ててますよ(笑)」(会場笑い)
どんなジャンルでもそうだと思うが、今、祭にもっていくしかない。
ゼロアカはカンフル剤。バブルもなければ死ぬしかないのだからやったほうがいいという感じ。
20年後批評は滅びると思う。それを少しでも延命させようということをやっている。
「暗い話ですねー(笑)」

まとめここまで


この日の東さんは早稲田文学のシンポジウムの時のような堂々たる佇まい&ノーウェイトでガンガン話すスタイルとはまたちょっと違って、やや抑えた感じで、言葉を選んで話しているというような印象を受けました。
「今僕まじめにしゃべってますけど小説家の僕ってこんな感じですよ」みたいなことを言ってましたし。
現在の批評、ゼロアカについてのお考えはもうこの間のワセブンシンポで大体把握していましたが今回のトークショーで、わりと正統派な文学青年的というか自分がいいと思う文章をじっくり書く職人気質な(?)書き手・小説家としての東浩紀さんを発見できてよかった。僕は東さんの現在の批評家としての活動を応援しつつも、どこかで東さんにそういう人で(も)いてほしかったというような気がします。
東さん、市川さん貴重なお話ありがとうございました&お疲れ様でしたーーー。