加藤周一『20世紀の自画像』

社会を語ったり政治を語ったりというのは多かれ少なかれ「空から地上を眺める」という性質を持つ行為だと思うんだけど、加藤周一という人は評論家でありながら高みに立って傍観するという事に懐疑的だった人でした。
それは直接的な経験を重視するサルトルの哲学の影響や、個別性・具体性から出発する「文学」というものに精通していたことと大いに関係があるでしょう。

「一人殺されただけでも大変な問題で、数字に還元できない。しかし、人間を数字に還元しなければ政治の話が出来ない。私はその違和感がある。(中略)科学といい、統計という発想の中には、個人を消去して特定のカテゴリーの中の番号に還元してしまうものの考え方が内在している。それは残酷です。私はそこにこだわるのです。」
「高みの見物は正確な判断をあたえるが、その判断は役には立たぬ。」

元々理系・医者でありながら、文学・芸術を愛した評論家の葛藤がわかる一文といえるのでは。社会や政治を語る際、統計・科学による判断にすべてゆだねることはせず、主観的な感情論や印象論の一本槍にも陥らず、一度空から地上を見て、相対化して、そのまま意見を言うのではなく、あくまでその後地上の自分の体に戻って意見を言う、それが加藤周一氏の政治や社会を語る際の作法でした。

僕も客観性のある主張と主観的な主張どちらかを絶対視してるという人はちょっと苦手なのですね。もちろん政治や経済、社会を語るのに統計のような数学的な方法は必要です。しかし、そこでは具体性・個別性が死んでしまうということに対する違和感というのが欲しいなあ、と。

20世紀の自画像 (ちくま新書)

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