斎藤環『心理学化する社会』(文庫版)
- 作者: 斎藤環
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2009/01/26
- メディア: 文庫
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「文庫版あとがきに代えて」
なお、「文庫版あとがきに代えて」を読むと、単行本出版時から5年経ち、社会の変化に伴って本書での「心理学化」というアイデアは過去のものになってしまっていると筆者は思っているようで、いまや個人は内面に介入されたくないと思うようになっており、社会学の「個人の内面に介入しない言葉」が心理学の代替になっている、つまり「社会の心理学化」から「社会の社会学化」になっているという(そういえば東浩紀氏は昨年のブックファーストでのトークイベントで「今は(思想や文学より)心理学だったり社会学的な知が優位になっている」と言っていた)。内容はちょっと難解だが、流動的な変わる社会=再帰性、伝統的な変わらない社会=恒常性の二つを密接不可分な関係として捉え、
再帰的な動物化を肯定し、そうした変化を支えるための社会システムを完璧に構築し、このうえなく制御された流動性が実現し得たとしても、そこにはおのずから「恒常性」がはらまれてしまう、ということ。言い換えるなら、再帰性を極大化する努力の中に、最大の恒常性の萌芽もまた存在する、ということ。
と主張するくだりは東浩紀氏の環境管理型権力のアイデアに対する斎藤環氏からの返答ともいえる。最後に筆者は日々の「反復」こそが再帰性と恒常性の双方の契機が宿る領域であるとし、再帰性を確保するために恒常性を確保すること、そのために精神分析的な倫理をどこに見出し、どのように実践するかを問い直し、そのような実践を反復することが自らの進む方向だとしている。このあたりは難解で自分も未消化な部分があるのだけど、再帰性に偏りすぎて他者への信頼といったものを破壊しすぎてしまうことにも陥らず、恒常性に偏りすぎて保守反動で原理主義にも陥らないために精神分析を用いる、ということかな。