現代思想の源流

現代思想の源流 (「現代思想の冒険者たち」Select)

現代思想の源流 (「現代思想の冒険者たち」Select)

現代思想の冒険者たちシリーズの00巻。本書は現代思想の流れを生んだ四人の哲学者を対象にしてるんだけど、それぞれ筆者が異なり、文章のクオリティやアプローチの仕方が違うのでそれぞれ独立した読み物として扱うことにする。

マルクス
マルクス思想の、用語の曖昧さなどから国家に利用されることにつながったという負の側面を認めつつも、本来唯物論は大理論が無視するマイナーなものを暴き出し、体系・普遍を否定し排除原理に抵抗する「指差し機能」を持つものだったとして捉え直していく。体系化・イデオロギー化を否定することが体系化してしまわぬよう、筆者が「指差し機能」という独自の言葉を使って過ちの繰り返しを回避しようとしてるのが面白い。
ニーチェ
あのー、ニーチェ好きっすか・・・?と聞きたくなるほど「非論理的」とか「飛躍がある」などと筆者はニーチェに対してドライで厳しい。ニーチェに対する当時の大衆の反応が描かれているのだけど、古い世界観を嘲弄し反西欧理性的で反体制的な人々に好んで読まれ、当時のドイツで起こった(1960年代の学生運動のような)青年運動では、その思想的中心にニーチェの『ツァラトゥストラ』などの著書があったという。しかし実際は運動のための運動のような性格があり、彼らの思想の左右はごっちゃで後にナチスに迎合することにつながったらしい。筆者はそれに対し同一化の拒否がニーチェの本来の意図ではなかったかと擁護(?)している。
フロイト
無難な内容。フロイトは意識・主体の虚偽性を指摘し、理性によって自分はコントロールできるという西欧近代的思考に揺さぶりをかけた。この「無意識」の発見から思想は「直接」語るのをやめ、形象と我々を媒介する言語や身体や記号ヘ、つまりコギトの外部へ関心を向けていくことになる。ところでフロイトは意識を中傷するのではなく、拡大することを目指していたらしい。
フッサール
最後のデカルト主義者にして最初のポストモダン哲学者。最も内容が濃く、ちょっと難解だけど面白かった。扱っている範囲も広く包括的で、フッサールの思想自体の解説はもちろん実証主義に対する批判から、ハイデガーレヴィナスデリダといったフッサール後の哲学者への影響まで網羅している。存在と存在の差異を手がかりに存在の意味を問い直そうとするハイデガーとの比較はフッサール理解に役に立つし、フッサールチルドレンからの批判や指摘はフッサールのどこに限界があったかを知ることが出来る。多くの哲学者から批判にさらされたり言及されるというのは、それだけ考えさせるものがあるということだし、なんだかんだいって批判している人達も第三者から見れば直接的にしろ間接的にしろフッサールの影響を受けているのであり、いかに哲学史においてフッサールが重要なターニングポイントであったかがよくわかる。