ドイツの哲学者ユルゲン・
ハーバーマスは面白い人だ。
構造主義とかシステム論とか言う論者に積極的に論争を挑むのだが、それはよくある
ソーカル的な批判ではなく、コミュニケーション的合理性という独自の見地から批判する。
構造主義とかシステム論というのは、おおざっぱにいうと人は所属する構造やシステムに規定され組み込まれており、主体性なんて期待できないんだよ、ということなんだけど、
ハーバーマスは「それは強制・支配の正当化につながる」と言ってあくまで人間同士のコミュニケーションによる相互理解を擁護する。それに対しシステム論を唱える
ルーマンは「強制のない討論は無理」と言うからこの二人、まったく話が合わないというわけだ。しかし
ハーバーマスの偉いところは論争後、相手の言い分の認められる所は認めて、自分の理論に積極的に取り入れてるところ。
フーコーに対しても、批判しながら思想的力量には敬意を払っていた。なんか憎めないおじさんだ。
フーコーや
デリダと比べるとその思想は常識的で、人間の理性を高く見積もるあたりいささか理想主義的といえなくもないが、「システム」の影響力が強くなって個人の影響力が低下している今だからこそ、
ハーバーマスの思想から学べるものは少なくないはずだ。日本でも
宮台真司氏が最新著で<システム>(計算可能性を保障する手続が支配的な領域)の拡大に対し、<生活世界>(慣れ親しんだ、文化・社会・人格の領域)の
再帰的な再構築を提唱している。