『丸山眞男の時代』竹内洋

丸山眞男本人の著作はまだ一冊も読んでないんだけど、政治・思想系の本でやたら援用されたりしていて名前だけはよく知っていた。一方でやたらとカリスマ扱いされていたり、もう一方からは親の敵のように叩かれていたりで、まあそれは良くも悪くも偉大な人に付きものなので、漠然と凄い人なんだろうなと思っていた。ちなみに丸山氏は海外の知識人からも評価が高く、あのサルトルフーコーからも称賛されてたんだとか。で、いきなり本人の著作に手を出すのもなんとなく気が引けたので、とりあえず内容が中立そうな丸山眞男論をということで本書を手に取った。本書はリアルタイムで丸山読者だった筆者が、過度に英雄視することもなく、認めるところは認めつつ、おかしな所はちゃんと指摘し、丸山眞男を当時の大衆や知識人と絡めてクールに論じている。
丸山氏の主要な仕事を一言であらわすと西欧の思想の概念を使って日本伝統思想を論じた、ということになる。丸山氏は思想家の吉本隆明氏に「学者でも思想家でもないお前は一体何なんだ」みたいなことを突っ込まれ「自分はどちらにも安住できない」と暗に答えているが、このアカデミズムと思想・ジャーナリズムの中間というのが丸山眞男の立ち位置であり見逃せないポイントだと思う。丸山眞男を(研究者ではなく哲学を実行する者という意味の)哲学者・思想家と呼ぶのは違和感があるし、学者・研究者にしてはその範囲に収まりきらない感じがする。基本的には実証主義を重視しつつ、ある程度の飛躍を許し何でも論じた同世代の知識人といえば加藤周一氏とスタンスが近いけど、やはりというべきか、この二人お互いにやたらと褒めまくっていて共著まで出している。
さて、その学問的・実証的でありつつジャーナリスティックで思想書のようでもある1946年の論壇デビュー論文「超国家主義の論理と心理」が当時のインテリにやたらと絶賛され名前が知れ渡る。しかし名前が売れれば当然批判も出てくるわけで、称賛されたのと同じくらい批判を浴びることになる。第一に保守派からの批判。これは理解できる。しかしよくわからんのは60年代の学生運動をやっていた人達からの批判。当時東大教授というステータスはかなり優越的地位にあり、それが当時の一般的な学生には「ブルジョア」として映り、気に食わなかったみたいなんですね、どうも。筆者によると学生運動は「お祭り」的な性格があり、学生たちは勢いに任せて大学知識人をやたらとぶっ叩いていたようで、丸山氏もご多分に漏れず、さらって教室に軟禁し「ヘン、ベートーヴェンなんかききながら、学問しやがって!」(p261)などと糾弾していたらしいが、流石にそれは単なるイチャモンではという気がしなくもない。むろん当時の学生でなければわからないことがあるんだろうけど、現在学生の自分からみてこの時期の丸山氏は左右からフルボッコの四面楚歌状態でちょっとかわいそうなほどだ。丸山氏は「吊るし上げ」の後入院し、1971年に定年を待たずに東大法学部教授を辞職する。
とまあ、丸山眞男氏が知識人や大衆にどんな影響を与え、どんな評価を受けてきたかがわかる一冊となっている。これから丸山眞男本人の著作を読もうとしてた自分にとって盲信せずになるべく中立な視点で読むためのいい「心構え」みたいなものができました。