伊勢田哲治『認識論を社会化する』

かつて藤野寛伊勢田哲治鶴見俊輔のインタビューで、鶴見がハーバードで哲学を学んでいたこと、その成果をかつては日本で仕事にしていたことを取り上げ「鶴見俊輔は哲学者か?という問いが立つと思う」と言っていたが、それに沿っていえば、「伊勢田哲治社会学者か?」という問いが立つんじゃないか。*1

メリーランド大学時代のアドバイザーであるフレデリック・サッピに社会学をすすめられ、専門の一つにしていたそうなのだが、本書では著者の科学哲学者としての性格の影になっている社会学的な側面が前面に出ていて、その社会学の知見に驚かされる。
また、伊勢田は社会学を(パーソンズ社会学エスノメソドロジー等も含めて)科学として扱っている。物理学や生物学は「典型」科学だが社会学は「非典型」科学であるという考え方に対しては物理学中心主義的科学理解の危険性を指摘しておく必要があるだろう、なんてことまで書いている。社会学の歴史を知ろうともしない素朴なエビデンス主義者に読ませてやりたいものだ(何

さて、認識論といえば、戸田山和久著『知識の哲学』がありますが、*2それと双璧をなす……といきたい所だけど、本書は戸田山本とはちょっと違う。『知識の哲学』が純粋な認識論とでもいうべきものなら、こっちは応用編。すすみ方としては戸田山本→伊勢田本とすすむのがいいと思う。

・社会認識論とはなんぞや

社会認識論とは科学の社会的・制度的側面を認識論的に分析する研究領域。まあカンタンに書くと、認識論(=知識の哲学)使って、科学的知識が知識と呼ぶに値するか、そのプロセスに注目してみましょう、みたいな感じかな。社会認識論が一般に認知されるようになったのはフラーの『社会認識論』(1988)が出たあたりから、らしい。ちなみに社会認識論の「社会」は基本的には専門家の共同体のことを指す。けど広い意味での社会を指すこともある。

・検証主義→反証主義相対主義→プロセス主義(今ココ)*3

科学哲学史ではポパー反証主義の後、60年代〜70年代に「科学だって社会的な影響を受けたりして合理的じゃなかったり不確かだったりするじゃんよ」というクーンやファイヤアーベントの相対主義的な流れが出てくるが、日本における科学哲学の歴史認識はそこで止まっていて80年代以降の科学哲学があまり紹介されてこなかった。けど、80年代以降の流れとして、いき過ぎた相対主義への反省からいくつかの分野が生まれていた。その一つが社会認識論というわけだ。

さて本書は社会認識論の本だが、伊勢田さんの試みは、本人の意図を超えて、射程範囲はかなり広いのではないかと思う。ここでのアプローチはーーむろん国ごとの文脈を考慮した限りにおいてーーほとんどの分野に適用できると思うし、ネットみてても学者同士の方法論上の対立なんてしょっちゅう見かけるし、ただ惜しいかな。この本すっげえ高いんだわ。5,500円とかしやがんのね。おれ図書館から借りたけど。amazonの商品ページや読書メーターとかみる限りあんま読まれてないっぽいじゃないですか。「取っ付きにくそーっ」て思われてるんだろうなあ。伊勢田さんもあんま「売らんかな」の人じゃないですからね。。だから、近くの図書館にあったら序論と結論だけでものぞいてみて!って強く主張しときますわ

認識論を社会化する

認識論を社会化する

付録

認識論の社会化のあり方として少なくとも以下の三つのパターンが存在する。第一に、認識主体の社会化、すなわち信念を持ったり推論を行ったりする主体そのものを個人から集団へと移すという考え方がある。ギルバートの集団的信念についての研究などがこの分類に属することになるだろう。第二に、認識論的判断対象の社会化という考え方もある。これは、第一の考え方と違い、信念形成や推論は個人的レベルで行われることを認めつつ、その背景の社会的プロセスを認識論的判断の対象としようという考え方である。科学哲学の一分野として社会認識論が行われる際、多くはこの第二のカテゴリーに属する研究がなされており、拙著『認識論を社会化する』で主に取り上げたのも主にこのカテゴリーの研究である。第三に、認識論的判断基準の社会化がある。第二のタイプの社会化と第三のタイプの社会化の差は微妙であるが、物差しと物差しで測られる方のどちらを社会化するかという問題である。(「認識論の社会化と非個人主義的内在主義」伊勢田哲治
http://www.wakate-forum.org/data/2005/resume1.php

*1:詳しくはhttp://d.hatena.ne.jp/tsuka_ryo/20100927/1285539779

*2:詳しくはhttp://d.hatena.ne.jp/tsuka_ryo/20101211/1291997437

*3:すいませんプロセス主義なんて専門用語はありません。おれが思いつきました。てかこの流れはおおざっぱなものとして捉えてね