ルース・ギャレット・ミリカン『意味と目的の世界』

分析哲学者とか認知心理学者が対象にしている、表象とか志向性とか心身問題などを扱う分野に興味があるけどこの2010年代に、身体になにやら魂が宿っているという二元論を主張し続ける覚悟もなく(今そんな主張してると電波とか呼ばれますマジで)、しかし「科学ではなくあくまで哲学の本がいい!」それでいて「だけどデネットチャーチランドはみんな知ってるしなァ」という、そんなアナタにはルース・ギャレット・ミリカンをレコメンしたい。

ミリカンはアメリカ合衆国の哲学者で、クワインと双璧をなしアメリカを代表する*1哲学者ウィルフリド・セラーズのお弟子さんである。セラーズの弟子といえばマクダウェルやブランダムなどがいるが、こういう優秀な弟子を輩出しているのを見るとセラーズの偉大さを思わずにはいられない。

ミリカンは20世紀分析哲学を特徴づけていた概念分析という手法には頼らず理論構築という手法で哲学を行うので分析哲学者と呼んでいいものかどうか。

ミリカンの哲学は、心の志向性と言語の規範性を生物的な視点から自然化し、心――言語――生物諸現象 を統一的に理解しようというものだ。

オシツオサレツ(pushmi-pullyu)表象

ミリカンの特筆すべきキーワードは何といっても「オシツオサレツ(pushmi-pullyu)表象」*2だと思う。「オシツオサレツ表象」というのは原初的な内的表象で、記述と規範を同時に行うような表象である。例えば

ミツバチのダンスは蜜がどこにあるか告げ(記述)、同時にどこに行くべきかを告げる(規範)
バナナの甘さは栄養があると告げ(記述)、同時にもっと食べろと告げる(規範)

前方に熊がいるという知覚は、前方に熊がいることを記述すると同時に逃げることを指令するようなオシツオサレツ表象を形成することだと考える。

局地的反復自然記号

足跡の主を意味する鳥の足跡や、雨を意味する黒い雲を自然記号という。
ドレツキは自然記号の条件として「Aが起これば必ずBが起こる」という強い相関関係を求めるが、それに対して、ミリカンはある程度の相関関係があればよいとする。
たとえば「ε」という足跡はAの森ではキジを意味するかもしれないし、Bの森ではウズラを意味するかもしれない。このようなおのずと成立した自然な領域(準拠領域)での「利用者に優しい」自然記号を「局地的反復自然記号」と呼ぶ。

以前無人島でペンギンを見つけたが人間を見ても逃げなかった、というエピソードを聞いたことがあるのだが、ミリカンのアイデアを使えば、それはそのペンギンたちの準拠領域に人間が存在しなかったので、「人間だ! - 逃げろ!」というオシツオサレツ表象が生じなかったからだと理解できる。

これを現代の日本人がラテン語の文章を見ても理解できない、ということと地続きのものとしてみる、というのである。

むろん人間はそう単純ではない。人間の意識的な心理は、原初的な愛好や嫌悪、たとえば甘さや笑みへの愛好とか、痛みへの嫌悪などに直接、根ざしているわけではない。膨大な数の真なる信念や偽なる信念に媒介されている。その事にミリカンは自覚的だ。

慣習的記号は、生産者と消費者の各組によってその都度、新たに発見ないし発明されるのではなく、ある目的のために再生産ないし「複製」されるのである。それゆえ慣習性は明らかに程度問題である。
(p.197)

この種の曖昧さは、比喩的な発言や含み、その他の拡張的な用法にも、もちろん当てはまるだろう。これらは、完全に革新的なものから少し馴染みのものへ、そして文法的解剖や合成構造にもとづく意味導出の媒介なしに自動的に扱われるものへと、ゆっくり移行していくのである。
(p.197)

自分は語用論などに疎いので、妥当かどうか判断しかねる部分もあったけど、全体的にけっこう直観にフィットするものだった。
余談だがミリカンには4人子供がいるそうで、本書には「娘が服の好みを変えるのは母親にとって大したことではないが菜食主義者になられたら大変なことだ」みたいな例が出てきてほほえましい。

わたしは本章で最後まで、現代における古典的な意味で「内包的」であるような言語的文脈を生み出す現象について論じてきた。そこにはクワインの「暗黒の生物」に類するものや、カルナップとのつながりで理解されるような「内包」、あるいはフレーゲ的な意味に類するものにたいする言及がまったくなかったことに留意していただきたい。わたしが記述してきたのは、目的の違いと、意味論的写像関数ーー自然的もしくは志向的記号をそれが表示する外延的な事態に写像する関数ーーの違いだけである。「内包的」なものが完全に外延的な言葉で説明されたのである。
(pp.135-137 「第7章 内包性」の最後)

意味と目的の世界 (ジャン・ニコ講義セレクション)

意味と目的の世界 (ジャン・ニコ講義セレクション)

*1:影響力はあるが知名度は低い

*2:ミリカンはこのネーミングを『ドリトル先生』に出てくる頭の二つある動物の名前からとった。『ドリトル先生』邦訳ではpushmi-pullyuは「オシツオサレツ」とされていて、信原氏はそれに従った。