日本カント協会編『日本カント研究8 カントと心の哲学』
戸田山和久「カントを自然化する」
認知科学の基本的なテーゼのいくつかはカントにまで遡る、というのは古くから指摘されていて、デネットは、およそ何者かが経験することができるのはいかにしてか、というカントの問いを、システムがどのようにしたらXを成し遂げることができるのか、という工学的問題の極限に位置づけているし*1、チャーチランドも、神経哲学の前史について述べる章で、カントを内省的方法を心の研究から排除した先駆者として位置づけている*2。
カントが生きていた時代の心理学の状況は、新しい経験的な心理学が始まっていて、そこに内省主義的心理学からの極端なバックラッシュが起こっている、という状況だったという。カントが愛読していたテーテンスも経験的探求は肯定するが、心はその対象になりえないとしている。
そんな状況の中カントはどういう立場だったのよ、といえば微妙な立場だったようだ。カントは内省という方法に不信感を持っていたが、「経験的心理論は、化学と比べても、本来的に自然科学と呼ばれるべきものの域からはつねにほど遠い状態にとどまらざるをえない」*3と、経験的な心理学に対して半分諦めているような感じ。カントは対象が空間・時間的に構成できなければ科学の対象になりえないとするのだ。
戸田山はカントの想定する経験的探求の見方が非常に狭いとした上で、現代はカントの時代から大きく変わった、だからカントを人類的遺産として愛でるのはもうやめて今こそ経験的検証にかけ、修正していくべきだと主張する。
なお、他の書き手のもぱらぱらしてみたけど、自分の関心からはあまり惹かれるものがなかった。
あ、蔵田伸雄という方は自然主義に反対の立場だけど、サールやストローソンなんかに触れていて面白かったなー。
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