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戸田山和久『認知科学のなかで哲学に何ができるかを考え直してみた』

読書

ごめん、オラ、前のエントリで嘘ついてた。
『交響するコスモス』の論文、戸田山サンの書いたものの最新じゃなかった。

認知科学』という雑誌の2010年12月号で短い文章書いてた。おそらくこれが現時点で最新*1

戸田山和久 認知科学のなかで哲学に何ができるかを考え直してみた

最近戸田山さんは複数の認知科学学会の人たちから「最近あまり哲学者がきてくれなくなった。学会の立ち上げ時期にはけっこうきてくれたのに」と言われることがあったらしい。「もはや認知科学もひとつのジャンルとして確立して干渉することもないよね」という哲学者のムードに対して戸田山サンとしては、「いやいやまだまだ認知科学に対して哲学にもやることあるっしょ」として認知科学における哲学者の役割についてポルノグラフィティよろしく本気出して(?)考えてみている(※1)。

戸田山サンがここで持ち出すのが、ティム・ヴァン・ゲルダーの「認知科学における哲学者の役割」という論文だ。

ところで、戸田山サンがこのヴァン・ゲルダー論文引用したのはこれが初めてではない。実は以前にも同じところ引用しててそれを知っている私としては「その論文好きだなww」と思わざるを得ないのだが、雑誌『認知科学』なら哲学系の読者は読まないと思って、油断したのかもしれない。

ヴァン・ゲルダー論文というのは新しい研究プログラムを構想する「先駆者」とか「アーカイヴ管理人」とか「批判者」、「チアリーダー」など認知科学における哲学者の役割が7つ提案されているもので、具体的には人工知能におけるデネットコネクショニズムにおけるチャーチランド夫妻をあげている。

戸田山サンとしては先駆者(The Pioneer)の道を追求してみたいそうな。
よく誤解されてる気がするんですが、戸田山サンは哲学*2が嫌いなのではないです。これは自然主義/反自然主義の問題とも絡んでくるんですが、彼は内省という方法に対して評価が低いんです。頼りないものとしてみているんですね。その上で、哲学を生き延びさせようとしている、というのが戸田山サンの立場。僕としては内省という方法に対して「いくらなんでも評価低すぎやろ」と思うのですが。あと自然主義というのは哲学を捨てるということではないです。

まあ、そういうお話&誤り訂正でした。


(※1)

*1:とか、また安易に「最新」とかいっていいのかオイ

*2:ここでいう哲学とは主に英語圏の、認識論、科学哲学、心の哲学などのこと