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ウィトゲンシュタイン『美学、心理学および宗教的信念についての講義と会話』

読書

この文章は、『論考』を自己批判した後、言語ゲームといって謎めいたテクストを書き始めた【後期】ウィトゲンシュタインが世界の意味や美や宗教についてかなりまとまった形で述べている唯一の資料*1

しかし、最近日本でも流行しつつある「分析美学」のような「美とは何か」「神とは何か」といった形の美学、宗教論を求めると肩透かしを食らう。ウィトゲンシュタインの狙いは美的表現や宗教的表現の行われる状況そのものを示していくことにある。暗闇の中で慎重に手探りで進んでいく、そんな感触。

身振り、声の調子などは、この場合是認の表現なのである。何がこの語を是認の発露たらしめるのか。それはこの語がその中で現れてくるゲームなのであって、ことばの形式ではないのである。

心理学者たちのしていることと芸術についての判断との間にはいかなる結びつきもあるようには見えない。われわれはどのような種類のものごとを美的判断の説明と呼ぶのかを検討してよい。

我々の判断がすべて大脳に由来することが見出されたと仮定しよう。(中略)問題は我々が美的印象について当惑しているとき、これが我々の欲している類の説明なのかどうか、ということである。明らかにそうではない。

以下はフロイトについての言及。

フロイトは絶えず科学的であることを標榜する。しかし、彼の与えるのは思弁ーー仮説の形成にさえ先立つ何かーーなのである。

しかし、賢明さというものはわたしが決してフロイトに期待しようと思わないものなのだ。才気は確かにある。しかし賢明さはない。

かれは古代神話について科学的な説明をしたのではない。かれのしたことは新しい神話を提議することだったのである。

ウィトゲンシュタイン全集 10 講義集

ウィトゲンシュタイン全集 10 講義集

*1:ウィトゲンシュタインに明るい人ならお馴染みだろうけど、これは彼の講義のノートを後に弟子がまとめたものであって本人の筆によるものではない