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井頭昌彦『多元論的自然主義の可能性』

読書

著者によれば本書の目的は第一に自然主義という哲学的立場の内容の明確化、第二に「物理主義しかないような理解が広まることは自然主義の射程や可能性を考える上で大きなマイナス」とした上でもう少し広いモデルを構築すること。

自然主義といってもいろいろあって、しばしば混乱がみられるのだが、本書では「対象というより方法論的観点から与えられている"仮説演繹法"以上の正当化手続きの存在を否定する」という、つまり第一哲学*1的構想を退ける立場を「最小限の自然主義」とよぶ。いわばデフォルトの自然主義だ。

それは物理主義を含まない自然主義で、では物理主義などを含めるその他のさまざまな自然主義はどうするのかというと「物理主義的」とか「自然科学主義的」とか「記述主義的」といったオプションを追加することで区別する、ということを著者は提案する。

自然主義をピザに例えるなら、第一哲学の放棄が生地のパンで、その上にお好みに応じてトッピングを加える、みたいな。

これによって、「第一哲学の放棄」を受け入れつつ物理主義や自然科学主義をとらない立場をうまく説明できるというわけだ。ここら辺ちょっと形而上学の話も使ってて難しかった。「物理主義」と人は簡単にいうがどうもいろいろ不整合をきたしたりして難しいみたい。

そうしてクワインパピノーなどを参考にしつつ自然主義に関する議論を整理した後、著者は物理主義によらない、もう少しプラグマティックな自然主義を打ち出す。そこでヒントにするのがパトナムやカルナップの意味論的構想だ。

カルナップはクワインによってコテンパンにされた、というのが一般的な認識になっているが、著者によれば、どうもそうはいえない、少なくとも乗り越えられたとはいえないという。

著者が引用しているカルナップの文章を読んでみると確かに「え、カルナップってこんなこといってたの!?」というくらいプラグマティックで、たしかに多元論的に読める。

これをカルナピアンモデルとよび*2、いかにクワインからの批判をかわすかが検討された後、自然主義と整合的であるとし、カルナピアンモデルを使った筆者独自のプラグマティックな自然主義が提起される。

本書は基本(現代)形而上学や公理的アプローチが中心で、認識論の自然化の議論によく登場するドレツキやスティッチ、ミリカンは登場しないのでそれらについては著者はどう思ってるのかなーとか思ったけど、哲学的自然主義のみならず分析哲学に興味もってる人にぜひおすすめしたい一冊。

多元論的自然主義の可能性?哲学と科学の連続性をどうとらえるか

多元論的自然主義の可能性?哲学と科学の連続性をどうとらえるか

*1:経験的探求はいらない、哲学のみで基礎付けできるという立場

*2:解釈のひとつなのでカルナップモデルではなくカルナピアンモデルという