クリストファー・チャーニアク『最小合理性』

あと1回かそこらでちょっとブログ休みます。ぼくもねえ、トンボつかまえたりドッヂボールしたりして遊びたいわけですよ。



「人間は不合理」とかフツーに暮らしてたら当たり前だろJKといいたくなるハナシではあるが、この合理性というコトバはちょっと注意が必要だ。

社会主義に対して合理性が批判されてる時は、一人または数人が社会全体について最適な選択をすることは無茶だって言ってんだろうし、市場主義に対して合理性が批判されてるんだったら、個人が効用を最大にするために最適な選択をするのは無茶だといって経済人モデルとかいわれてるアレが叩かれてるのだろう*1。他にも生物学・進化学系の人が合理性という時は、生物の個体や種のための最適な選択をとることという意味合いも考えられる。

気をつけたいのは注釈無しの「人はそんなに合理的じゃない」という一文が社会主義批判の理由にも市場主義批判の理由にもなり得るし、「社会規範的には異常な行動も進化学的には合理的で超オッケー*2」みたいなことも言えたりするということであって、いっくら認知心理学とか進化論系の本とか読んでも、その辺の事情分かってないと分野間でメンドクサイ混乱が起きるんでないの、と我輩は思うのでアリマス(声優:渡辺久美子)。

予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 増補版

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人は意外に合理的 新しい経済学で日常生活を読み解く

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例えば、この二冊を並べると「どっちだよwwwww」という気になるが、上は超(買い物上手的な意味で)計算高く想定された個人のいわゆる経済合理性の話をしていて、下はより砕かれた、生物レベル寄りの話になってるので特に矛盾するわけでもなかったりする。



クリストファー・チャーニアクはメリーランド大学*3の分析的伝統に属する哲学者で、本書で言われるところの合理性とは哲学で議論されてきた合理性のこと(経済合理性や進化論系の合理性と関係なくもないけど)。

原著の出版は1986年だけど今読んでも十分面白く、10年以上前にとっくに邦訳が出て然るべきだったと思う。

まずチャーニアクはクワインデイヴィドソンのモデル*4を理想的過ぎるとして退け、信念が凍結状態にあるほぼ無限の容量を持つ長期記憶と、長期記憶から"解凍"された短期記憶(作動記憶)のモデルを用いてより現実的なモデル=「最小合理性」を考案する。チャーニアクはクワインデイヴィドソンがそのような間違った論証に至った原因を「慈善の原理」を厳格に適用したためだろう、としている*5。スティーヴン・スティッチも、デネットゲーム理論のマーティン・ホリスの見解を退けチャーニアクの見解のあるヴァージョンを一番正しそうだと支持している。記憶の信念すべてから網羅的な探索をし、推論を行おうとすれば(そんなことが出来れば)我々は身動きが出来なくなってしまう。スピードと信頼性はトレードオフで、一見して非合理にみえる心的なショートカットはおそらく認知資源が有限であるがゆえの、進化の過程上の必然なのだ。
ただ今の自分からしたらチャーニアクは少し楽観的なようにも思う。今は学問はめっちゃ細分化しているしインターネットなんてのもある。現在のヒトが出来た頃とは環境がガラッと変わっていることには留意しておきたい。

「最小の合理性をもった行為者」というモデルの説明自体は認知科学に親しい人ならおなじみかもしれないけどむしろ本書の真価は最小合理性モデルを通じて、上記の哲学者に加えヒュームやカント、エイヤーからパース、ドレツキ、デネットまで哲学史における合理性についての議論と接続し吟味する、というきわめて貴重な貢献がなされていることだと思う。

最小合理性 (双書現代哲学7)

最小合理性 (双書現代哲学7)

*1:行動経済学による新古典派批判を想起せよ

*2:古い。

*3:2007年度末をもって退職したそうです。おつかれさま。

*4:真なる信念を生み出す、信念・行為・欲求の全体論的な説明

*5:デイヴィドソンは最小合理性の擁護者でもあった。