<分析>哲学者・戸田山和久著作ダイジェスト

さしあたり更新おやすみ中です。


戸田山和久さんはいわゆる分析系――戸田山さんや飯田隆さんにいわせると「分析系」とひとくくりにすることが今や期限切れということになるのでしょうが――の哲学者で、単著ではかなり一般向けの本を書いていて、マニアックなトピックは雑誌やアンソロジーで扱っているという印象です。『科学哲学の冒険』などで戸田山さんは<分析系>の哲学者としては有名なほうだと思うのですが、論文の多くは一般読者の目にとまりにくいところで書かれてたりするので、その全貌がちょっとわかりづらいことになっていると思います。せっかくファンになっても単著で止まってしまうのはもったいないと思い、そこからディープな戸田山ワールドへ進んでいけるようこれまでの仕事に少し光を当てられたら、と思いました。

容易に入手できるもので哲学関係のものはほとんど読んだと思いますが、もちろん見逃しがある可能性はあります。なお、読んだものについてはごく簡単な紹介を添えておきました。また、訳者解説などのついていない翻訳のみの仕事(ハオ・ワン著『ゲーデル再考』など)ははずしてあります。


1986

◆ゲームと道具-ウィトゲンシュタインの無矛盾性証明批判

東京大学文学部哲学研究室論集

1987

◆意味論とは何か、また何であるべきか-ダメットの反実在論的意味論について

東京大学文学部哲学研究室論集

1988

◆訳者解説
主にラッセルのパラドクス、分岐タイプ理論の欠陥などの解説を担当。

プリンキピア・マテマティカ序論 (叢書 思考の生成)

プリンキピア・マテマティカ序論 (叢書 思考の生成)

◆訳者解説
ポスト・クーン左派のエディンバラ学派を代表するブルアによる本書は、ウィトゲンシュタイン思想を哲学者たちによる「スコラ的」囲い込みから解放し、社会学といわれる活動の側へ奪還する目的で書かれたといっても過言ではないという解説。

ウィトゲンシュタイン―知識の社会理論

ウィトゲンシュタイン―知識の社会理論

◆「プリンキピア・マテマティカ」における或る不整合の背景について

東京大学文学部哲学研究室論集

◆つくられたものとしての集合

季刊哲学 5

1989
1990

◆数学をめぐる2つの比喩 - ウィトゲンシュタインの場合
中期ウィトの「数学=自閉的記号変形ゲーム」観〜後期ウィトの「数学=道具=言語ゲーム」観の解説。1986年の論文『ゲームと道具』と内容が一部重複しているとのこと。

現代思想 10月号

1991

◆精神と肉体
「幽霊って何?」と聞く小学生とその父親の会話。心の存在論的な身分についての哲学的な説明。驚くべきことに、この時点で戸田山文体はすでに確立している。

数学セミナー 11月号

◆物理主義的数学観の可能性

名古屋大学教養部紀要A

1992
1993

◆クラスの概念と部分-全体関係

名古屋大学教養部紀要A

1994

ウィトゲンシュタイン的科学論
ブルアらのいわゆるエディンバラ・グループ(SSK)とマイケル・リンチらの「科学者のワークのエスノメソドロジー的研究」の対立をそれぞれの後期ウィト解釈からみていく。

岩波講座 現代思想〈10〉科学論

岩波講座 現代思想〈10〉科学論

ヒルベルト
哲学的な側面に焦点を絞る。認識論的基礎付けとしてのヒルベルトのプログラムは息も絶え絶えではないだろうか、と。↓これは99年に出た新装版。

現代思想ピープル101 (ハンドブック・シリーズ)

現代思想ピープル101 (ハンドブック・シリーズ)

1995

◆数学と数学ならざるもの,あるいは数学の内と外
数学の基礎の認識論的危機に対する中期ウィトの、数学を認識論から解放しようという方針には全面的に賛同するが、その治療に関しては藪医者だったと主張。↓これは2011年に出た新装版。

ウィトゲンシュタイン読本 〈新装版〉

ウィトゲンシュタイン読本 〈新装版〉

1996

◆知識と情報 - 動物は信じない
ドレツキは魅力的だが隙だらけでもある。ハーマンらによる批判をとりあげ、出来るかぎりドレツキを擁護し、さらに先へすすむための手がかりを得ようとする。

知識という環境

知識という環境

1997

◆悪循環原理、分岐タイプ、そして「ラッセルの構成主義
ラッセルの構成主義的傾向を示す「悪循環原理による分岐タイプ理論の正当化」に対してはラムジーゲーデルクワイン、チハラから批判されているが、ピーター・ヒルトンは擁護できるとした。この解釈は果たしてうまくいくのか。

悪 (哲学雑誌 (第112巻第784号))

悪 (哲学雑誌 (第112巻第784号))

↓にも所収
分析哲学の誕生―フレーゲ・ラッセル (科学哲学の展開 1)

分析哲学の誕生―フレーゲ・ラッセル (科学哲学の展開 1)


◆書評 竹尾治一郎著『分析哲学の発展』
哲学者たちの代表的学説を解説するというスタイルでは、浅薄なお客さんしか寄ってこず、どこまでも厳密かつ明晰に議論を詰めていこうとする哲学の魅力が伝わらないのではないか、というアツイお言葉が。

科学哲学 vol.30
Kagaku tetsugaku

1998

◆実り豊かなリサーチ・プログラムとしての物理主義的数学論
数学の唯名論化は変わった哲学者のお遊びなのか?フィールドの道具主義的戦略やヘルマンの様相構造主義的戦略をとりあげ、そうではないことを示す。

哲学 vol.49
哲学

1999

自然主義的転回の果てに科学哲学に何が残るか
この論文はかなり評判が悪かったそうだ(『知識の哲学』p260)。自然主義をすすめると科学哲学者はどうなるかを考察したもので、たしかにおちょくってる感は否めないが「その後」を考えない自然主義者より、むしろこういう姿勢は誠実に思える。

科学を考える―人工知能からカルチュラル・スタディーズまで14の視点

科学を考える―人工知能からカルチュラル・スタディーズまで14の視点

◆精神の科学-この多様な未踏の地
(半分ネタで)「われわれはなぜか机上の空論だけをやっていても誰からも叱られないという特権を持っています」など面白いが危険な発言多し。

こころの科学 (86)

こころの科学 (86)

◆「ウィトゲンシュタインウィーン学団」、「ブラウワーの講演」他
ウィトとウィーン学団との関係やゲーデル理解など。基本的にはウィトのアイデアを擁護する姿勢。

ウィトゲンシュタインの知88 (ハンドブック・シリーズ)

ウィトゲンシュタインの知88 (ハンドブック・シリーズ)

◆書評 野矢茂樹著『論理トレーニング』
「西洋テツガクの流れ」みたいな教科書ではなく、到達目標を明示し学生の視点に即し、実際に力をつけることをねらいとしている教科書であることを大変高く評価している。

科学哲学 vol.32
Kagaku tetsugaku

◆科学哲学のラディカルな自然化
当時ハマッていたからなのか、チャーチランドにかなり重点が置かれているが、これは3年後の『科学(者)の中の哲学(者)』で「あれはちょっとまずかった」と振り返られることとなる。

科学哲学 vol.32
Kagaku tetsugaku

2000

◆論理学をつくる
論理学の教科書の鉄板。初学者がいきなり後ろのほうのページ開くとうわーってなるけど、退屈させないよう心を尽くして工夫しているし論理学に対する素朴な疑問にもくどいくらい説明してる。

論理学をつくる

論理学をつくる

◆「普遍生物学」であるために人工生命研究は何をせねばならないか
生命の本質が計算論的なレベルで捉えられるという「強い人工生命のテーゼ」に対するソーバーの誤解を解きつつ、最終的には人工生命が普遍生物学の一環であるために強い人工生命のテーゼは取る必要はないことを示す。

科学哲学 vol.33
Kagaku tetsugaku

◆Philosophers meet A-Life: 人工生命研究は哲学をどう変えるか

計測自動制御学会システム工学部会編『人工生命の新しい潮流:資料』

2001

◆成長するティップス先生:授業デザインのための秘訣集
誰がどこを担当したかは明記されてないのだが、やたらハシャいでる論理学を教えるティップス先生がいるから戸田山さん書いたの絶対そこだと思う。

[高等教育シリーズ] 成長するティップス先生 (高等教育シリーズ)

[高等教育シリーズ] 成長するティップス先生 (高等教育シリーズ)

分析哲学-現在進行形の哲学
ブックガイド。『言語哲学大全』の他、柏端達也『行為と出来事の存在論』、チャーチランドの『認知哲学』などをチョイス。他にもアメリカでドイツの留学生と「自分の国では大陸哲学が盛んで肩身が狭い」という点で意気投合したエピソードとか。

現代思想2001年11月臨時増刊号 総特集=現代思想を読む230冊

現代思想2001年11月臨時増刊号 総特集=現代思想を読む230冊

◆可能世界についての虚構主義をいかにして救出するか
「可能世界への存在論的コミットメントを避けて様相論理を使い続けるにはどうするか?」という問いに可能世界意味論を用い続けても可能世界の存在にコミットしなくてすむ道を選ぶ。

中部哲学会年報 vol.34

2002

◆知識の哲学
知識論の入門書。最終的には伝統的知識論の破壊者(?)たるドレツキやスティッチ的な方向へいくが伝統的知識論の解説にも手は抜かない。

知識の哲学 (哲学教科書シリーズ)

知識の哲学 (哲学教科書シリーズ)

◆真理条件的意味論と検証条件的意味論
タルスキの真理の理論から始まり、デイヴィドソン - ダメット論争を通じて二人の言語哲学の意味の理論を解説。

言語哲学を学ぶ人のために

言語哲学を学ぶ人のために

◆人工生命と現象としての計算をめぐる天使と悪魔の対話
"天使「人工生命!何という汚らわしい言葉。神ならぬ身の人間がこともあろうに生命を造るだなんて。思い上がりにもほどがある!なんちゃって,ウソ。いちおう立場上怒ってみただけ。わたし,人工生命がどんなものか知ってるのよ。学会をのぞきに行ったことあるもん。」悪魔「変な天使だな。」"

Computer Today 9月号

◆企業倫理と工学倫理に倫理学はいかなる貢献をなしうるか
技術者、企業、工学についての倫理学。企業責任の個人への再分配の話とか。

工学倫理の条件

工学倫理の条件

◆論文の教室 - レポートから卒論まで
はじめて戸田山さん知ったのこれだった。シンガーへの言及のほか、あとがきでデイヴィッド・フィンチャー監督や斎藤美奈子に触れてたり、いつもとは違った表情が伺える。

NHKブックス 論文の教室 レポートから卒論まで

NHKブックス 論文の教室 レポートから卒論まで

アップデート版
新版 論文の教室―レポートから卒論まで (NHKブックス No.1194)

新版 論文の教室―レポートから卒論まで (NHKブックス No.1194)

◆狭義の科学哲学と科学技術社会論
ファン・フラーセンなどの科学実在論争をふりかえりながら科学哲学もSTSに貢献できることを示している。

◆科学(者)の中の哲学(者)−哲学の生存戦略とそのアジェンダ
哲学を延命させるには、クワインですら完全に捨てられなかった(言語論的転回以降超越論的主観の代用品として役割があてられてきた)「文モデル」から新しいモデルへシフトするべきであると主張。

哲学の探求 vol.29

2003

◆数の存在と数学とは何かをめぐる天使と悪魔の対話
ハートリー・フィールドの『数のいらない科学』から「物理学の唯名論化は可能か?」を考える。かなり難解なトピックを対話(漫才?)形式でここまで読みやすく調理できるのはホントにすごい。

Computer Today 3月号

◆哲学的自然主義の可能性
哲学的自然主義を定式化し、いくつかの「頭ごなしの批判」に率直に答えているのがこれ。「人間の尊厳を損なう」という批判に対する答えを読んで、自分は大きな誤解をしていたのだと気づかされた。英語圏の自然主義者、反自然主義者の名前が何人も出てくる。よくチェックしてるなあ。

思想 4月号

◆哲学的自然主義の2つの基本的主張の間に存在しうる或る緊張について
ラウダンの悲観的帰納法の議論から帰結されるのは、存在論的自然主義(物理主義とほぼ同義) と認識論的自然主義(自然化された認識論とほぼ同義)を同時に主張できないかもしれないということだ。チャーチランドやサッピをヒントに両者を調和させる道を追求する。

人間環境学研究 6月号
人間環境学研究

◆「はじめに」と「序章」の第3節
古典的な認知モデルとコネクショニズムがどう違うのかの説明など。編者代表だがこの本では戸田山さんだけ長い論文は書いてない。

心の科学と哲学―コネクショニズムの可能性

心の科学と哲学―コネクショニズムの可能性

◆置き換え理論、そしてラッセルの数学の哲学についてまだわかっていないこと
初期ラッセルの数学の哲学は資料が限られていたせいでいくつかの未解決な問いを残していた。しかし近年ではラッセル・アーカイヴの資料を手がかりとした研究がすすみ一定の答えが与えられつつある。ここではグレゴリー・ランディニの仕事に焦点を絞る。

科学哲学 vol.36
Kagaku tetsugaku

2004

◆「はじめに」、「1-1」、「3-2」、「おわりに」
「わんぱくでもいい、誇り高い技術者になろうと思って欲しい」という願いが込められている。

誇り高い技術者になろう―工学倫理ノススメ

誇り高い技術者になろう―工学倫理ノススメ

アップデート版

◆心は(どんな)コンピュータなのか:古典的計算主義 vs.コネクショニズム
古典計算主義とコネクショニズムの議論を追跡し、両者の違いを明確にする。かなりテクニカル。

シリーズ心の哲学〈2〉ロボット篇

シリーズ心の哲学〈2〉ロボット篇

2005

◆科学哲学の冒険 - サイエンスの目的と方法を探る
「科学哲学だったら戸田山さんの『科学哲学の冒険』がおすすめですよ」的な発言をしたことのある人も多いだろう。濃い内容も扱ってるので、読み直すたびに発見があると思う。

脳科学コネクショニズム・還元と消去
還元主義とか消去主義とかいうけどそんな単純にいくわけではない。マコーリーは科学史の事例からレベル間還元(消去)とレベル内還元(消去)をそれぞれ検討し、チャーチランドの消去主義はうまくいかないと指摘。

現代思想2005年2月号 特集=脳科学の最前線

現代思想2005年2月号 特集=脳科学の最前線

自然主義的認識論と科学の目的
2003年の『哲学的自然主義の可能性』の続編とも言うべき内容。「自然主義左派と自然主義右派」、「自然主義における概念分析の意義」、自然主義的認識論に対して考えられる批判に対して、それらがいかなる哲学的前提に立つものか明らかにした上でそうした批判に答えるために何をすべきか考察する。

分析哲学はいかにして分析哲学でなくなったか
論理分析や日常言語分析を基本営為と考える狭い分析哲学から、方法によって特徴づけるのが困難な現代の広い分析哲学へいかにして至ったかというおはなし。(狭い)分析哲学現象学を「出来の悪い双子」として扱ってるのが面白い。

現代の哲学―西洋哲学史二千六百年の視野より

現代の哲学―西洋哲学史二千六百年の視野より

◆教授の見た法人化一年 「新やかん」41世紀におけるご隠居と熊さんの会話 (今月のテーマ 国立大学法人化の一年)
哲学関係ないけど読み物として面白いので載せてみた。古代文明「ニポン」のダイガクなる教団(?)の古文書を解読するご隠居と熊さん。

IDE(475)

2006

◆連載:実在論論争―科学に何ができるのか(伊勢田哲治との往復書簡 RATIO1〜RATIO6 全6回)
まず『科学哲学の冒険』ぐらいは読んでおきましょう。伊勢田さんからの「文アプローチ→モデルアプローチ」アイデアへの批判とそのリプライなど往復書簡形式だからこそ浮かび上がることがある。

別冊「本」RATIO 01号(ラチオ)

別冊「本」RATIO 01号(ラチオ)

2、3、4、5号省略
ラチオ06号

ラチオ06号

◆何でこんなヘンテコな記号を覚えなくちゃいけないんですか?―論理学(教育)と人工言語
なんで論理学やるのに記号覚えなきゃいけないのか、という「聞いてええんかそんなこと」みたいな素朴な疑問もまじめに考える戸田山せんせい。決して論理的にものを考えるのが苦手なわけではないが記号列への統語論的操作だけがめちゃめちゃ苦手としか言いようがない人がいる。ちなみに初級論理学の教科書は57冊持ってるそうです。

月刊 言語 2006年 11月号 [雑誌]

月刊 言語 2006年 11月号 [雑誌]

Citizen's Patronage in Science: Challenge for Reforming Science and Technology Literacy and Related Action In Japan

EASST 2006: Reviewing Humanness; Bodies, Technologies and Spaces

2007

ゲーデルの数学的プラトニズムとは何か
軽くみなされがちなゲーデルのプラトニズムについて「観念論抜きのカント主義」という真剣な検討に値する一つの哲学的仮説であることを示している。

現代思想2007年2月臨時増刊号 総特集=ゲーデル

現代思想2007年2月臨時増刊号 総特集=ゲーデル

ゲーデルの優れた伝記(書評:ジョン・ドーソン『ロジカル・ディレンマ』 )
「優れた伝記は人生の記述の間隙を埋めたい気分になるのだ」といっていろいろ妄想している。

週刊読書人 4月13日

◆3章 ラッセル
ヘーゲル主義との関係、『原理』から『プリンキピア』まで、表面的にはコロコロ変化してるようにみえる活動を追いながら、ラッセルのプロジェクトの根幹を明らかにする。

哲学の歴史〈第11巻〉論理・数学・言語 20世紀2

哲学の歴史〈第11巻〉論理・数学・言語 20世紀2

◆「知識を自然の中に置く」とはいかなることか - 自然化された認識論の現在
自然主義的知識論者のコーンブリスと、反自然主義のビーラー、ブランダムとの論争が貴重。動物(サルとか鳥)の知識の話に重点が置かれてる。

ヒトと人のあいだ (シリーズ ヒトの科学 6)

ヒトと人のあいだ (シリーズ ヒトの科学 6)

◆第三部 ゲーデルのプラトニズムと数学的直観
哲学ではゲーデルのプラトニズムはナメられてきたきらいがあるが、1995年に『全集3』が出たことで風向きが変わってきた。カントやフッサールの文脈で理解すべきではないかということ、数・集合の実在論というより「概念実在論」とよぶべき立場だったのではないか、など。

ゲーデルと20世紀の論理学 4 集合論とプラトニズム

ゲーデルと20世紀の論理学 4 集合論とプラトニズム

◆このテクストに科学論はありますか(書評:ブルーノ・ラトゥール『科学論の実在―パンドラの希望』)
ラトゥールが本書で行ったことはむしろ風変わりな形而上学であって、それはそれで興味深いが、科学論としての有効性については疑問であるとのこと。実在論の問題は正当化に関わるわけで、「指示の循環を通して実在物が記号に変換される」とか言っただけではダメよ、と。

科学 2007年 09月号 [雑誌]

科学 2007年 09月号 [雑誌]

◆カントを自然化する
現代認知科学、認知哲学系の人たちのカント論や、バウムガルテンといったカントが生きてた時代の心理学との関係などめちゃめちゃ面白い。アンドリュー・ブルックの「カントの活かし方」の検討などなど。

日本カント研究〈8〉カントと心の哲学

日本カント研究〈8〉カントと心の哲学

◆技術者倫理の観点から見たテクノロジー・カフェ―その意義と可能性
技術者倫理の実質化に向けたストラテジーとアジェンダ

技術倫理と社会 2

2008

◆エクスターナリズム
2006年に『気づきのいらない正当化』を著した外在主義認識論者マイケル・バーグマンが主人公。対するはアール・コニーやリチャード・フェルドマンなど。つい最近の海外の認識論事情が読めちゃう。

岩波講座 哲学〈4〉 知識/情報の哲学

岩波講座 哲学〈4〉 知識/情報の哲学

2009

◆指定討論
名前は出てこないがラウダンのモデルの応用のお手本のようなやり方で質的心理学と量的心理学の齟齬を整理している。古代より続く文学とかモラリストの伝統とよばれる心理学を洗練させていくという方法もあるし、それは価値のあることだと思う、と語る。

てんむすフォーラム 特集「行動主義」
http://www.k2.dion.ne.jp/~kokoro/tenmus/forum4.html

◆心の科学におけるモデルと還元
存在論的還元主義/方法論的還元主義、レベル内還元/レベル間還元、公理論的アプローチがダメな5つの理由、それらを材料に認知科学の還元可能性と自律性をみていく。

人工知能学会誌 3月号

◆「エボデボ革命」はどの程度革命的なのか
生物学の哲学。エボデボとは進化学と発生学との融合領域である進化発生学(evolutionary developmental biology)の愛称。ここ200年の進化学・発生学・遺伝学のくっついたり離れたりの三角関係を描きつつエボデボの革命性を吟味。

現代思想2009年4月臨時増刊号 総特集=ダーウィン 『種の起源』の系統樹

現代思想2009年4月臨時増刊号 総特集=ダーウィン 『種の起源』の系統樹

↓にも所収
ダーウィンと進化論の哲学 (科学哲学の展開)

ダーウィンと進化論の哲学 (科学哲学の展開)

◆訳者解説
ウォラルやレプリンとの論争、科学社会学(SSK)批判などラウダンまわりの事情が良く分かる解説。ラウダン反実在論者なので立場は違うが「現代科学哲学の必読書」としてレコメンしている。

科学と価値―相対主義と実在論を論駁する (双書現代哲学)

科学と価値―相対主義と実在論を論駁する (双書現代哲学)

2010

◆人文学は自然科学の「進歩」に貢献できるのか
「限界の指摘」ではなく「内容面での貢献」は出来るか。連綿と続く原型論と機能主義の対立、ラウダンの哲学をヒントに考える。
◆宇宙全体のかたちと〈左手と右手の区別〉
カントの思考実験を取り上げ、空間の形而上学にかかわるごくささやかな歴史的エピソードの位置づけをする。

交響するコスモス〈上巻〉人文学・自然科学編「環境からマクロコスモスへ」

交響するコスモス〈上巻〉人文学・自然科学編「環境からマクロコスモスへ」

◆利己的遺伝子 vs. 発生メカニズム―進化発生学およびDSTの選択単位論争への含意

中部哲学会年報 vol.41

◆志向性の自然化プログラムとしての黒田哲学

黒田哲学の志向性と因果を巡る思索を志向性の自然化プログラムとして捉えなおしているが、「その読みは無理があるんじゃね」的に野家啓一せんせいに突っ込まれてました。(追記:哲学会の雑誌で読めるそうです。twitterid:mskotaさんご指摘ありがとうございます。)

志向性と因果 (哲学雑誌 第 126巻第798号)

志向性と因果 (哲学雑誌 第 126巻第798号)

認知科学のなかで哲学に何ができるかを考え直してみた
「そんなことは○○がすでに言っていたことです(キリッ)」なんてことばかりやっていると哲学はただのアクセサリーになっちゃう。ある分野がつねに刺激に富んだものでありつづけるためには哲学はどうしたらいいのかを考える。

認知科学 12月号

2011

◆新しい知識の理論をめざして
自然化&社会化された知識論プロジェクトの一環としてまずは論理実証主義から続く科学的知識と技術的知識はものすごく違ったものだという幻想をぶちこわす。

社会システム情報学
http://www.ss.is.nagoya-u.ac.jp/ja/book.html

言語哲学を開く- 科学における<意味すること>の分析から<意味すること>の科学へ
ラウダンらの悲観的帰納法をかわし科学実在論を擁護しようとすると、言語哲学の問題に行き着く。スタティス・シロスの指示の因果記述説、ルース・ミリカンの目的意味論を手がかりに指示の理論の外在化・自然化、ひいては科学実在論の擁護をめざす。

応用哲学を学ぶ人のために

応用哲学を学ぶ人のために

◆訳者あとがき
なんだかタイトルだけみるとハウツー本みたいだけど、本書は認識論も視野に入れた、日常言語学派の一つの到達点を示す哲学的古典。トゥールミンは本書に最も影響を与えた哲学者にギルバート・ライルの名前をあげている。

議論の技法

議論の技法

◆<ウィトは不完全性定理が分かって書いてるのか>問題
ウィトはあるヴァージョンの不完全性定理のそもそもの前提を理解していないように見える。「いや、実は分かってて深いこといってるんだよ」派を認めるとしてもその先に新たな問題が・・・。

ウィトゲンシュタイン (KAWADE道の手帖)

ウィトゲンシュタイン (KAWADE道の手帖)

◆「科学的思考」のレッスン
科学哲学〜科学論のさまざまなトピックを解説していて、この辺の分野の最初の1冊によいのではないでしょうか。伊勢田さんがいくつかのつっこみを入れてるので併せて読みましょう。

http://blog.livedoor.jp/iseda503/archives/1692796.html

追記:ここでの伊勢田さんの指摘のほとんどについて、二刷以降では修正されているそうです。

福島第一原子力発電所事故以降の科学・技術コミュニケーション――放射線リスクを巡って

社会と倫理 第25号
南山大学社会倫理研究所|社会と倫理

2012

OPERA実験の意義
実際にOPERA実験に携わっている小松雅宏氏のインタビュー、その聞き手。キャッチーな報道と学界・研究者との乖離、実際の影響や今後の検証など。

◆テーマ「どうすればほかの人とわかりあえるんだろう?」
子どもの難問に哲学者が答える連載らしい。他の回で柏端さんとか伊勢田さんが登場してこの連載、面子が豪華。オトナが読んでもいいレベルだと思います。

Dream Navi (ドリームナビ) 2012年 03月号 [雑誌]

Dream Navi (ドリームナビ) 2012年 03月号 [雑誌]

◆哲学を応用するとはいかなることか 他

これが応用哲学だ!

これが応用哲学だ!

◆5章、6章、終章
ようするに戸田山さんの伝統的認識論(あるいは技術者倫理・企業倫理)を今の時代に合うように作り直すプロジェクトの話。
自然化と社会化の2つのアプローチの内、本書では社会心理学による社会化アプローチの話中心。

心と社会を科学する

心と社会を科学する

◆対談:戸田山和久×森田真生 「行為としての科学」の起源を訪ねて

対談:戸田山和久×森田真生(2012.02.04)2012/ 11 /12 公開 | Choreograph Life