I.ニース+A.M.スープレナント『記憶の原理』


はじめにいっとくと、「テストに合格する」といった自己啓発(?)みたいなの期待するとおそらく肩透かしを食うので、そういうのを求めてる方は他を当たるべし。本書は一般向けの逸話やエピソードは控えめで、そのぶんデータの吟味、対立する知見の間の矛盾の解消、他の原理との比較や妥当性の検証に重点を置いている。

著名な記憶研究者タルヴィングは「記憶全体に当てはまるような一般的な原理など存在しない」と主張しているが、その理由は記憶は数多くの異なるシステムから構成されており、それぞれのシステムはそれぞれの異なる原理のもとで働いているから、というものだ。
また、同じく記憶研究の第一人者であるグラフ(P.Graf)は複雑な記憶を研究するためには「問題を細かく分け、それをひとつずつ克服する」という"分割統治"が有効だと述べている。事実、これまでの記憶研究はこのような方法で推し進められてきたという。

しかし本書ではそのような「複数記憶システム説」の立場をとらない。少数の原理で現象を説明することが科学の目標であると主張し、複数システムや処理説を統合して普遍的な人間の記憶における原理を7つ提案する*1。そしてそれらは少なくとも現時点では実験結果と矛盾なく説明できていると思われる。

第2章で著者は記憶に対する代表的な捉え方である「システム説」と「処理説」の批判的吟味を行う。「ワーキングメモリ」や「長期記憶」、「エピソード記憶」といったことばを目にしたことのある方も多いだろう。システム説ではそれらの記憶システムは解剖学的にも進化的にも、互いに異なる構造を持つものとされている。

実際、システム説は「ごく短期間だけは新しい情報を記憶できるにも関わらず、長期にわたって記憶を保持することはできない」という健忘症患者のデータに対する説明に最大の強みを持つ。この症状は別々の記憶システムを仮定しなければ説明することが難しい。
しかし別々の記憶システムを仮定しなくても健忘症者のデータは説明できるという反論も現れつつあるという。Della Salaら*2は「干渉が最小限になるような条件(静かな暗い部屋でゆったり過ごす)のもとでは、健忘症者のエピソード記憶の成績は健常統制群とほぼ同程度になる」ことを実験で示した。ただ個人差は大きく、干渉が少ない条件でも成績の向上が見られない健忘症者も何人かいたそうだが、今後の検証に有望な余地があることを示したといえるだろう。

著者は短期記憶と長期記憶がいくつかの点で異なっていることを認めるのに吝かではないと断った上で、それらは本質的に異なったものなのか?と疑問に付し、「記憶は脳のどこにあるのか」と問うことは「走ることは身体のどこにあるのか」と問うことと同じであり、確かに身体のある部分は(脚!)は走ることにとってかなり重要だが最終的には多くの身体部位や筋肉群が複雑に協働しあわなければ走るという行為は成り立たないと比喩を使って述べ、そして記憶システムの違いは「走ること」と「歩くこと」の違いのようなものだと主張する。歩く(例えば短期記憶)ときにはまったく妨害にならなかったわずかなことが、走る(例えば長期記憶)ときには妨害になりうるのだ。

第3章以降著者は7つの原理をひとつずつ検討してゆく。「記憶は単なる再現ではなく本質的に再構成的なもの」などその過程に出てくるいくつかの知見は、日常の経験から(実験系の心理学が嫌いな人がよく言うような口調で)「そんなこと分かってたよ」てな事もあるし、「時間の経過と記憶の成績は無関係」など目から鱗なものもあった。

面白いと感じた実験をひとつ紹介しよう。McWeenyらは固有名詞についての巧妙な実験を行い「この男性の職業はbaker(パン屋)で…」と「この男性の名前はbakerで…」のように、ある項目が職業として与えられた場合と、名前として与えられた場合で、その項目の再生成績を比較した。そして固有名のほうが一般的な名詞を再生するよりも難しいということを実験的に裏付けた*3。これは原理7の「特定性」が若年成年に当てはまる例の一つといえるだろう。

しかし本書の価値はなんといっても原理を探ろうとする姿勢にあるのかもしれない。著者は原理を探ろうとすることには、次の2つの利点があると述べる。第一に、研究者たちの関心を、個々の理論や具体的な効果、あるいは特定の実験課題を仔細に検討することよりも、研究領域全体の知見を振り返って吟味しようとすることに向かわせる点。第二に一般的な原理を打ち立てることによりその原理を反証しようとする研究を促すことである。
そうして著者たちは今までに蓄積されてきた実験研究を統一的に捉えるために推理の網を絞り込んでいくのである。

また、本書では触れられていなかったが、認識論や語用論にも応用できるかもしれない。語用論のたとえば関連性理論の本を読むと*4これらはサブパーソナルに迅速に行われますよ、認知効果の計算上努力が最小になるような順序をたどりますよ、と少し触れられてるだけで概念形成の仕組みや並列分散表象モデルをとった場合両立可能かといったことには触れられてないので、例えば固有名についての記憶研究が、関連性理論でいうところの「飽和」や「指示対象付与」とどう関わってくるのかなど、こういう『記憶の原理』のような本を読むと、どうしても認識論とか語用論との関係(組み込めるかどうかとか)が気になってしまう。

本書は"分割統治"が主流といわれる現在の記憶研究の中で、全体を俯瞰し、蓄積されてきた様々なデータをまとめあげ、(今のところ)それらのデータと矛盾なく記憶についての原理を確立することに成功している。あまり一般向けとはいえないが様々な研究者が興味深く読める一冊ではないかと。

記憶の原理

記憶の原理

*1:原理って何みたいな話は第1章に丁寧に書かれてる。

*2:Della Sala,Cowan,and Perini(2005)"Just lying there,remembering"memory,14,435-440

*3:McWeeny,Young,Hey,and Ellis(1987) "Putting names to faces"British Journal of Psychology 78,143-149

*4:たとえば今井、西山『ことばの意味とはなんだろう』2012