ダニエル・デネット『「志向姿勢」の哲学』

主に英語圏の心の哲学などの分野で、素朴心理学(=解釈理論)ってのがあって、これ、どうも「古代から人々が実際に使っている」とか、「いや分析哲学で形成された哲学理論だ」とか見解が分かれているようなのですが、ここでは信念体系の整合性や合理性を中核とする「信念欲求心理学」を指します*1

で、その信念欲求心理学をめぐる百家争鳴ケンケンガクガクな状況に、ある程度通じてる人には本書はかなり面白く読めます(素朴心理学って何ですかという人にはすすめません)。

本書の邦訳がでたのが1996年(17年前)なワケですが、その頃はスティッチもドレツキもミリカンもチャーニアクも翻訳されておらず、フォーダーやポール・チャーチランドがかろうじて翻訳されていたぐらいなので*2、「信念欲求心理学がこの先生キノコるには」的な議論を英語で読まれていた方以外の読者はそーとー読むのに苦労なさったのではないかと推測します。
というのも本書ではスティッチやミリカンやチャーニアクやチャーチランド夫妻の名前がガンガン出てくるからです。

でも今はスティッチもドレツキもミリカンもチャーニアクも重要著作が日本語で読めますから、今こそ日本で本書が再評価されてもいいのかなという気がいたします。

↓こういうの

断片化する理性―認識論的プラグマティズム (双書現代哲学)

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最小合理性 (双書現代哲学7)

最小合理性 (双書現代哲学7)

本書でのデネットの立場のポイントは次のとおり

1.信念や欲求の基盤となる情報蓄積のための「脳の核要素」というものについてはそれが何であれ厳格な実在論


2.情報蓄積のための「脳の核要素」がいったん個別化された文的性格を持つ「信念」の実在については懐疑的


3.我々は結論に飛びついたり論理的に無関係な状況の特質に惑わされたりすることがよくあるが、信念や欲求は有効な近似化にすぎないのであって体系的に精密化しようと思っても無理だということさえ飲み込んでいれば有効な限りで有効であり、認知科学のようなサブパーソナル心理学と両立可能


2で「文的性格を持つ信念」の実在については否定してるのでこの点でデネットはフォーダーと別れます。反実在論といっても色々あるわけですがここでデネットは「信念の道具主義を取るわけではない、いわば割引いた真理だ」と書いています。明示的に特定の○○主義をとっているとは書いてないのですが、内容的にはイアン・ハッキングやナンシー・カートライトの支持する対象実在論に近いような。
デネットは、人間は巧みに言語を扱うことができ、紙に文章を書いては見て、書いては見て、といったことができる、言語的相互反応を行うことができるという人間のまさにその能力が信念体系の整合性や合理性の幻想を生む、といった表現をしています。

3は消去主義はとらないということなのでこの点で「信念欲求心理学の消去主義者」であるチャーチランド夫妻とは別れます。デネットはチャーニアクに従い、伝統的な合理性をいじることが必要と考えます。ですが「最小合理性」は言いすぎだとも考えます。この点でチャーニアクと若干距離をとります。
合理性ないよ派の人は「人間がそんなに合理的だったらチェスが成り立たない」というが、ルールを覚えればチェスの中盤、30ないし40余りの指し手が5つほどの有力候補の順不同の短いリストに切り詰められるというのは驚くべき予測の利点だとデネットは考えます。


原著が1987年なんですが内容は今でも通用しそうなほどで、かなりの部分同意できます。
最近の、概念のプロトタイプ理論なんかとも相性がよさそうです。

最近では哲学内の合理性の議論も、言語学からのアナロジーで能力と運用をわける議論など発展していたり(詳しくはEdward Steinの"Without Good Reason"など)、サブパーソナル心理学の実験も盛んに行われているので、そういった知見を援用してアップデートできるかもしれません。

「志向姿勢」の哲学―人は人の行動を読めるのか?

「志向姿勢」の哲学―人は人の行動を読めるのか?

*1:信念欲求心理学という呼び方は原塑先生に従いました。http://phsc.jp/dat/rsm/20060618a8.pdf

*2:雑誌とかでは翻訳されてたかも。