『知のユーラシア1 西洋近代哲学とアジア』

本書の目的は近世(17世紀末から19世紀全般)における思想・宗教・文化面での「東西交流」「東西関係」に新たなメスを入れること。たとえばライプニッツイエズス会の中国伝道師らとの交流を通して早くから中国思想に強い関心を示していたことは比較的よく知られているそうだが、晩年の著作に『中国自然神学論』なんてのまであってけっこう本格的に取り組んでいたことがわかる。

こうした研究は日本では五来欣造が1929年(本書では1927年となってるがおそらく誤り)に『儒教の独逸政治思想に及ぼせる影響』で先鞭をつけていた。そこではライプニッツがみずから創見した二進法は伏羲の陰・陽の二要素から展開する易の世界観と相通ずるとみていた、といった見解が表明されている。

ライプニッツを継いで、中国哲学に傾倒したクリスティアン・ヴォルフは1721年『中国人の実践哲学』の講演において、その内容のキリスト教の体系とぶつかる部分が教授陣の反感を買い、亡命を余儀なくされマールブルク大学へ移るが当時のヨーロッパの知識人にはヴォルフは同情され、歓迎を受ける。さらにはロシアのピョートル大帝はサンクト・ペテルブルクの王立アカデミー副総裁の地位の提供を申し入れ、それ以降ヴォルフの哲学はカントへいたるドイツ哲学の主流を形成し、ラテン語訳、フランス語訳などによって東西ヨーロッパからアメリカにいたるまで広く流布するにいたった。

にしても17世紀ごろに『論語』といった中国哲学の古典がラテン語やフランス語に翻訳されて読まれていたとはしらんかった(逆にストア派の哲学書が中国の士大夫に読まれたりしていた)。
ライプニッツやヴォルフといった啓蒙主義形成期の哲学者たちに中国哲学がどう映っていたかがみえてくる。
融和的な当時の紹介者たちが既成のヨーロッパ的・キリスト教的価値観に抵触しないように四苦八苦する様子が痛々しい。

シリーズ知のユーラシア1 知は東から: ー西洋近代哲学とアジアー

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