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金水敏『コレモ日本語アルカ? 異人のことばが生まれるとき』

唐突だが次のような話し方を示されたとして

1そうじゃ、わしがしっておるんじゃ
2そうよ、あたくしがぞんじておりますわ
3そや、わてがしってまっせー
4これながいきの薬ある。飲むよろしい。

多くの日本人は1を老人2をお嬢様3を関西人、4を中国人と捉えるのではないだろうか。


このような特定の話し方(語彙、語法、言い回し、声質など)と人物像(性別、年齢・世代、職業・階層、国籍、場面など)とが連想関係として結びつけられ、かつ社会的にその知識が共有されている時の、その話し方のことを役割語という。
役割語には現実の特定の集団の話し方を元にしている場合もあるし「ワレワレハ宇宙人ダ」のようにフィクションで作られたものもある。言語学といえば語とその語が指す対象との関係の研究や、ヒトの生得的な言語能力の研究などがあるが日常言語はこういった要素からも成り立っているのである。

さて本書では『らんま1/2』や『Dr.スランプ』、最近では『銀魂』『ヘタリア』といった作品にも登場する役割語のひとつである「アルヨことば」が歴史的にどのようにして中国人などの外国人話者と結び付けられたのか、小説・漫画や歴史的資料に基づいて検証し、そのルーツを明らかにしていく。

「アルヨことば」が現れる最初の作品は宮沢賢治の『山男の四月』(1921年)であるという。
ここでさらに疑問が沸いてくる。「アルヨことば」は宮沢賢治の創作なのか、なんらかの言語資源を利用して作り出したのか。

著者は資料に基づき「アルヨことば」に先立って幕末〜明治の横浜で発生したピジン=横浜ことばが宮沢賢治の「アルヨことば」の原形だったという見解をとる。

ピジンとは二つ以上の言語が接触する場所で自然発生的に用いられる奇形的な言語のことで、当座の間に合わせのために、相手の言語のわずかな単語や文法をつなぎ合わせて、なんとか用を足そうとする時に生じる「片言」が、社会的にある程度慣習化したものをいう。

ピジンには次のような特徴が現れる。

1.語彙の減少。きわめて限られた単語を使いまわす。従って、一つの単語はいろいろな意味で使われることになる。

2.形態の単純化。活用・屈折といった単語の変化が乏しくなり、一つの形態(例えば終止形)をいろいろな文脈で使いまわす。

3.統語構造の単純化。助詞・助動詞などが乏しくなり、また接続表現も乏しくなって、文を二つ並べたものが修飾、条件、理由、継起など多様な関係を表すといった現象が起こる。

4.外国語の語彙、あるいはピジン独特の語彙が混じる。

5.話者の母語の音声の影響で、音声に訛りが生じる。

『山男の四月』に登場する陳のことばは↑のピジンの特徴に概ね合致している。

『山男の四月』に引き続いて「アルヨことば」が見られるのは坪田譲治の童話作品(1933)、そして田河水泡の『のらくろ』の3部作(1937-8)などが続き、「アルヨことば」は定着期に入る。田河水泡の熱狂的ファンだった手塚治虫石ノ森章太郎の作品にも登場して、80年代以降の展開は皆さんご存知の通り(?)といったところ。最近(2000年代以降)では、「現実ではまったく聞かれない」ことを逆手に取ったギャグとして使われたり、単に「〜ね」語法が用いられるようになっており、「アルヨことば」は衰退期に入っていると著者は述べている。


本書に登場する固有名詞にはよく知っているものが多いこともあって読み物としても面白く、慣れ親しんだキャラクター達も連綿と続く系譜に位置づけられること、そして「言葉は生き物」(比喩)だということを改めて思わされる一冊だった。