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松井智子『子どものうそ、大人の皮肉』

手順はじつは非常に簡単だ。まず、いくつかに分ける。もちろん量によっては、ひとつにまとめてしまってもよい。いっぺんにやりすぎないことが大切だ。すぐにどうということはないが、いずれやっかいなことになるかもしれないからだ。間違うと、高くつくこともある。はじめは手順が複雑に思えるかもしれない。だが、すぐに生活の一部としてなじむだろう。

この文章だけを読むと何が書いてあるのかほとんど理解できない。しかしこの文章のタイトルは「洗濯」と言われると同じ文章が俄然わかりやすくなるのではないだろうか。

文脈情報というのは空気みたいなもので似たような経験をしていたり似たような言語履歴をもっている者同士で会話をしていると迅速・自動的に解釈するのでその存在に気づかないが、「何かが足りない」「何かがおかしい」と感じると私達は文脈を推測したり意識的にいくつかの解釈を比べたりということをする。そういう人の性質を利用したのが「○○とかけて××ととく、その心は?」というなぞかけのような言葉遊びだ。

本書はスペルベル&ウィルソンの関連性理論をベースにした語用論の入門書で、大変読みやすく表紙も可愛い感じだが決して説明は手を抜いていないので語用論の最初の一冊にうってつけ。

子どもにあるストーリーを聞かせた後に質問するという実験(実験というのは強い言葉なのでここでは不適切かも)や語用障害の方の言葉使いを手がかりに、伝わる原因・伝わらない原因を探っていく。

[Aは[〜〜〜である]と信じている]

このような心的表象は一次的メタ表象と呼ばれ、発話の理解に不可欠であるとされる。たとえばドラマで泥棒が「宝石を盗んだのは俺じゃない」と言ったとしよう(実際に泥棒をしたものとする)。それがウソだと解釈されたとすると次のような心的表象が作られたと考えられる。

[泥棒は[宝石を盗んだのは自分ではない]と信じていない]

さらにドラマを見ていた人が、泥棒の話を聞いた警官が泥棒の言っていることはウソだと思っている、と思ったとしよう。
ドラマを見ていた人の頭には次のようなメタ表象が形成されていると考えられる。

[警官は[どろぼうは[宝石を盗んだのは自分ではない]と信じていない]と思っている]

このような二次的な心的表象は二次的メタ表象という。

子どもが二次的メタ表象能力を持っているかどうかを調べる、二次の誤信念課題というものがある。他人が思っていること、信じていることを誤解してしまったことがわかるには、二次的メタ表象が必要になるのである。

以下は本書に出てきた二次の信念課題を若干アレンジしたもの。

タカシとミナコは動物園にウルトラマンが来ていると聞いて動物園に行った。
二人はそこでウルトラマンと話をしていたがタカシは用事があって一人で家に帰った。
ミナコが動物園に残っているとそこにマナブがやってきた。
ミナコとマナブがウルトラマンと話しているとウルトラマンは「僕たちはこれからスーパーマーケットに行くよ」と教えてくれた。
ミナコとマナブは家に帰ることにしたがマナブは途中で一人でタカシの家に寄って、ウルトラマンがスーパーマーケットに行ったことを教えてあげた。
そしてタカシはまたウルトラマンに会いに行くと言って出かけた。
ミナコはまたタカシを誘ってウルトラマンを見に行こうと思ってタカシの家に電話をしてみた。
するとタカシのお母さんが出て「タカシはウルトラマンに会いに行くと言って出かけたわよ」と教えてくれた。


さてミナコはタカシがどこに出かけたと思っているでしょう?動物園?スーパーマーケット?

この質問に正しく答えるためには、次のような二次的メタ表象を形成している必要がある。

[ミナコは[タカシが[ウルトラマンは動物園にいる]と思っている]と思っている]

この質問に正しく答えられるようになるのは6歳以降であるらしい(6歳過ぎれば誰でも正解が出せる、という強い主張ではない)。3歳児は電話で話している相手に対して、手もとの絵本を指差して「これ読んで」とか平気で言ったりする。

話はそれるが読みながら心的表象という語にひっかかりを感じる人もいるかもしれないな、と思った。心的表象が構文論的構造なのか分散的なのか、いや表象なんてものを持ち出す必要はないとか、それ自体が認知科学や心理学の哲学などで議論になっているからだ。とりあえず本書では明示的に立場が書かれているわけではないが、古典計算主義寄りなのではないだろうか。


誤解のないような言葉のやり取りをすべし、と無理強いしてくるのではなく、「結局われわれは言葉を使ったやり取りは不可能なのだ」といった(俗流)ポストモダニズムみたいなことを言い出すのでもなく、100パーセントの成功は難しいことを伝えたうえで、その原因については探求可能であり、ある程度誤解は防ぐことができるから悲観的になることはないと教えてくれるあたり大変好感が持てた。

トマセロのジャン・ニコ講義を翻訳している方でもあるんですね(あとがきによれば大学院時代にスペルベル、ウィルソン、トマセロに師事していたそうな)。

コミュニケーションの起源を探る (ジャン・ニコ講義セレクション 7)

コミュニケーションの起源を探る (ジャン・ニコ講義セレクション 7)

『子どものうそ、大人の皮肉』は『コレモ日本語アルカ?』と同じ「そうだったんだ!日本語」シリーズで、なかなか良シリーズといえそう。まあ2冊だけで判断はできないんだが、でもタイトル眺めてるとほかにも面白そうなのがたくさん。

http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/028621+/top.html