戸田山和久『恐怖の哲学 ホラーで人間を読む』

戸田山さんはよく文体が言及されるけど『交響するコスモス』に載ってるような終始キリッとした文章もあれば、雑誌の『科学哲学』あたりの論文の、元々持ってるユーモアが滲み出てる程度の文章もあるわけで、本書はどうなのかというと一般向けの新書ということでかなり砕けた調子なので軽いノリが苦手な人は注意な。あまり経験的探究に頼らないタイプの哲学アプローチに対して一部挑発的なところもあるのだが、(戸田山さんのような)この手の人達は「もう少し中立的な書き方を!」みたいなお行儀のいいこと言っても火に油を注ぐだけだったりするので、よほどの記述でなければ「偏った人もよのなかには少数は必要だよな」とかなんとか思ってクールに受け流すのがいいと思う(適当)。まあこの著者さんはバランスの取れたフェアな書き方やろうと思えば非常にうまくやれる人なんですけどね。やりたがらないだけで。

本書の内容をざっくりいうと情動の哲学と分析美学という2つのホットな分野*1を下敷きに、そもそも恐怖とは?というところから始まり、やがて、「なぜ存在しないと分かっているものを怖がことができるのか?」「どのようにしてヒトはホラー映画なんてものを楽しめるのか?」を考えていく…というもので詳しくは山下ゆさんとかスゴ本さんのブログを読んでいただきたいが、情動の哲学も分析美学も旬なトピックとはいえ、新書ということを考えると、少数を除いて明るくない読者がほとんどだろう。私といえば、"The Cambridge Handbook of Cognitive Science"の、『恐怖の哲学』でも依拠している俊英哲学者ジェシープリンツが担当した情動の章に目を通していたので「これ進○ゼミでやったやつだ!」となる箇所も一部あったとはいえ、ほとんど上澄みをすくった程度に過ぎず、ただただおとなしく議論を追いかけていくしかなかったのだが、著者も認めるように、哲学ジャンルとしての美学については「本書に取り組むまで敬して遠ざけていた」らしいので美学や精神分析や神経科学といった分野に詳しい方で専門用語や理論について「この用語について誤解があるぞ」という声はあると思う。さいわい煙に巻くような書き方はしてないので(新書なので記述がユルいということはあるが)間違いを発見しやすく、誤りを指摘されれば素直に応じるおっさんなのでどんどん指摘すればよいかと(本人に届けば、だが)。とはいえ新書というスタイルからしてどちらかというと紹介メインなわけで、いつもながら充実の参考文献から美学や情動の哲学など関心を持った分野の本格的な議論にすすんでいけばよいと思う。著者もそれを望んでいることでしょう。

本書を当たり障りのない入門書と比べて読み物として面白くしている点は、そういった旬のトピックを誰でもなじみのある映画という対象に応用してみせ、哲学者の本らしく、過去の見解について反例を指摘したり補足したりしつつ立てた問いにきっちり答える作業をわかりやすく実際にやってみせてるところ。参考文献にないので憶測になるけれども、デネットがハーレーやアダムズJrと組んで著した『ヒトはなぜ笑うのか』(勁草書房2015)のホラー版みたいなことをやろうとしたんじゃないかと思う。
精神分析理論やローズマリー・ジャクソンの文学研究といった過去の見解を検討して、長所や適用できない例を示していく構成も少し似ている。

「問いに答える説明がどういう条件を満たしていなければならないか」をいくつかに分けて明確化して、「これでは(1)(2)は満たしているが(3)を満たしていない」とか「この仮説だとホラー以外のジャンルも含まれてしまうじゃん」とか「"ホラーが怖いがゆえに魅力的なのはなぜか"に答えることを目指しているのに"ホラーが怖いにもかかわらず魅力的なのはなぜか"にズレてしまっている」*2といったように過去の見解に反例をあげたりしながら、最初は大掴みな仮説から、徐々にはみ出す部分を削ったりズレを修正したりと、問いに過不足なく答える方法が読みながら身についていく、という実践的な本になっている。

こう書くと「ジャンル一般に当てはまる説明など薄っぺらい」という声が聞こえてきそうだ。あわててつけくわえると著者は、本書がやっているようなこととは別に、個別の作品に当てはまる説明というのもあって、そういう説明のほうが、その作品が特定の人を引き付けるのがなぜかをはるかに雄弁に語るということはありそうであり、そうした説明を排除する必要はまったくない、と述べていて、ここは戸田山さんの文芸批評観が伺えて興味深い。

また、新書であることを意識して意図的にやっているんだろうけど、恐怖という情動に絡めて意識の難問や死の形而上学などの一般的な日本人がイメージする哲学っぽい話(これは私がいくつかの本屋の売り場を見てきた経験プラス一種の直観です)を組み込むあたりも退屈させない。

個人的に注目したのは『哲学入門』で伊勢田哲治さんから突っ込まれていた*3、日常概念でもある心理学用語等を日常概念と違ったふうに定義し、それで研究を進めてもその対象についてわかったことになるのか(大意)、という指摘に関する部分。その応答になっているような箇所が第8章で読める。著者は心理学用語が物理学の専門用語(CP対称性とか)なんかと違って日常的体験というルーツから独立できていないことを認める(p371)。たとえば情動は意識的なものだとする人たちは少なくない。しかし本書では「意識を伴わない情動」を認めたい。そこで著者は次のようなケースをあげる*4。飛行機恐怖症の人がいて、飛行機に乗っているときにその人の同僚がリラックスさせようと面白い話をしてくれる。そして面白い話を聞いているうちに恐怖を意識しなくなったがふと自分が飛行機に乗っていることを思い出したときに話を聞いている間中べっとりと冷や汗をかいていたことに気づく……著者はそういった誰にでも伝わるケースや実際の実験をあげて情動という概念を「意識を伴うもの」から「意識を伴わないこともあるもの」へ改定していけばよいという戦略を取るようだ。というか新書でこういうケースや実験を紹介すること自体が戸田山さんの概念改定のひとつの実践なのかもしれない。ちょっと根拠が弱いんじゃないだろうかとかなんとか思っているうちに著者はこの問題自体は深く掘り下げず次章へすすんでしまうが、いつか情動や恐怖に限らず日常概念-科学的概念ギャップの問題にもう少し取り組んだ読み物を読んでみたいと思う。


本書では恐怖・ホラーがテーマだったが、怒りとか嫌悪とか悲しみとか笑い……はデネット達がやってるか。そういった他の情動を映画やら他の文化と絡めて本書と同じようなことをやってみるのも面白いかもしれない。


まとめ
(1)情動の哲学と分析美学という2つの旬な分野およびホラーものについてのこれまでの見解のざっくりとした見取り図が得られるよ(より専門的なところへは参考文献から進んでね)
(2)そういった議論を追いながら立てた問いに過不足なく答える議論の仕方も(ある程度)身につけられるよ

上に出てきたごほん

The Cambridge Handbook of Cognitive Science

The Cambridge Handbook of Cognitive Science

ヒトはなぜ笑うのか

ヒトはなぜ笑うのか

*1:分析美学は新しい学問ではないがここでは日本で最近翻訳や日本人による研究書が出始めていたりする状況を想定している

*2:著者は「にもかかわらず説」がダメと言いたいわけではないが、「ゆえに説」のほうがベターだと考える(p303)

*3:http://blog.livedoor.jp/iseda503/archives/1805752.html

*4:考案したのはプリンツである。