ハロルド・ハーツォグ『ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係』

やまがたさんが訳し、スティーブン・ピンカーも賞賛、ということから察しがつくと思うが、ジョナサン・ハイトやジョシュア・グリーン、マーク・ハウザーといった勢いのある科学者が出てくる科学寄りの本。倫理学の話も出てくるがそれメインではない。
原題は「Some We Love, Some We Hate, Some We Eat」という。

こんなエピソードが載っている。
気まぐれに持ち帰った実験用のネズミを子供にプレゼントした。家族でネズミをかわいがり、やがてネズミが死んだあと庭に墓を立てて埋めた。
その後台所に別のネズミが現れた。そのネズミはすぐに殺して、ペットにしたネズミの墓の近くに捨てた。

本書は人間が動物に対していかにイビツな態度をとっているかを示す心理学・人類学のデータがこれでもかと載っている。

わたしたち動物に対する考え方は、たいていの場合、その生物種の特徴によって決定される。魅力の程度、大きさ、頭の形、ふわふわとした毛に覆われているか(これはプラスの評価)、それともぬるぬるしているか(こちらはマイナスの評価)、どのくらい人に似ているか、あるいはどのくらい賢いと私たちが考えているか。足の数が多すぎるのも足りないのも嫌われる。ふんを食べたり、血を吸ったりという気持ち悪い習性もダメ(p.49)


これは自分の直観からしてもけっこういい線いってると思うが読者はすぐさま反例を思いつくだろう。
ハーツォグはサウジアラビアでは犬は一般的に嫌悪の対象にされている例などを挙げ、文化・環境の影響の大きさも強調する。

一般にアメリカ・ヨーロッパでは犬を家族とみなすが(ただし北米先住民は犬を食べていた)、コンゴ川流域の人々は肉を柔らかくするために犬をじわじわ殴り殺す習慣がある。
こういう習慣はチンパンジーにも見られ、チンパンジーは好物である動物(アカゲコロバスザルなど)のはらわたをくりぬいて殺したり、腕や脚を引きむしったり頭を木の幹や岩に叩きつけたりするらしい。

とはいえチンパンジーの食べる量はヒトに比べたら少なく、アメリカ人全体で年間324億kgの動物肉を食べる。
これは科学実験で殺される動物の200倍、保健所で安楽死させられるイヌの2000倍。

そういったことを知って菜食主義者になる人もいるのだが調理の面倒さや健康状態の悪化、友人関係の悪化(海外でも「意識が高い」みたいな話法があるんだろうか)などでやめてしまう人も多いらしい。また、大抵のムーブメントにつきものではあるが動物解放を求める人たちの中のごく一部には動物実験を行う自然科学者に脅迫状を送りつけるアカン人もいるということを付け加えておこう。

心理学者のジョナサン・ハイトは哲学者ピーター・シンガー『実践の倫理』を読み、説得されたが、ハンバーガーを食べるのはやめられなかったんだとか。…なんかジョナサン・ハイトのイメージが変わるな。

著者ハーツォグはそういった一貫性のなさを嗤うのではなく、「肉も食べるけど前よりずっと減った」と書いているし、「闘鶏は残酷で正当化できない」とも書いている。時に畏怖すら感じさせるストイックな哲学者と比べそのとても穏健な立場は、(自分も含めた)動物倫理学から遠いところにいる多くの人たちにも受け入れられるかもしれない(哲学者の児玉さんとか一ノ瀬さんとかはその点に関して尊敬してますが。この流れと名字でピンとこない人は気にしなくていいです)。


こちらは哲学者の伊勢田哲治さんによるコメント
http://blog.livedoor.jp/iseda503/archives/1660499.html


ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係

ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係