セドリック・ブックス『言語から認知を探る―ホモ・コンビナンスの心』

セドリック・ブックス。

ベルギー出身で、ハーバード大学助教授、准教授を経て、現在はスペインのカタラーナ高等研究所・バルセローナ自治大学の研究教授。
専門は生物言語学、理論言語学
本書はハーバード大学での学部生用の講義を基にしているとのこと。サブタイトルにある「ホモ・コンビナンス」とは「組み合わせる能力のある人類」という意味で最終的なブックスの主張でもある。


前回のエヴェレットがチョムスキー派の「ユダ」だとしたら(?)、ブックスは正統的なチョムスキー派。
つまりヒトには本能的(=社会規範とは切り離されている)、生得的な言語能力が備わってますよ、という立場。

で、これ読んで、自分ちょっとチョムスキー誤解してたのかなとオモタ。

よく言語の「柔軟性」「多様性」「社会的・文化的な影響」なんてこと言いながらチョムスキー批判してる人をちらほら見かけるんですが、
自分も直感的に「文化・社会の役割とかどーすんのさ」、とか素朴なことを思っていたわけです。

が、チョムスキーは後期ウィトゲンシュタインやJ.L.オースティン(いわゆる日常言語学派!)をよく読んでいて、社会規範とか文脈依存的で、「記憶の限界」や「同時並行的な思考」に影響を受けた「具体的な言語使用」のことをよく承知していて、生得的能力の「コンピタンス」と具体的な言語使用の「運用(performance)」という区別をしていたということのようです。

んで、ブックスはその2つが両立しうることを何度も強調する。

社会的に依存しているということは「生物学的な」という標識と相容れないと思う必要がありません。(p.83)

チョムスキーが何年も促しているように談話やコミュニケーションの機能や目的とそういう機能や目的を果たすために言語を使うことの根底にある心の装置とを截然と区別すべき(p.163)

そしてブックスは、仏語+グンベ語のクレオール*1オランダ語+イジョ語のクレオールの類似とか、発達心理学やら神経科学、進化学の経験的根拠からコンピタンスの輪郭を浮き彫りにしていく。

ちなみにブックスは哲学もかなり詳しく、バークリーやヒュームが「経験主義」として一般に思われているほど単純なことを考えていたわけではないことも教えてくれる。才気煥発で、この感じどこかで……と思ってたら、デネットだ。そうだな、なんかデネットとかぶる。ブックスは哲学者ではないけれど。

言語から認知を探る――ホモ・コンビナンスの心

言語から認知を探る――ホモ・コンビナンスの心

*1:植民地などで生じる不完全な混成共通語をピジンと呼ぶが、それを作った世代の子供たちが完全に成熟した言語に発達させたものがクレオール