スコット・ジェイムズ『進化倫理学入門』

専門が「価値論、道徳心理学、進化論」*1の哲学教授による進化と倫理学が交錯する分野の入門書。

同じ領域を扱っている本が最近日本でもいくつか出ており、道徳の生得論争や生物の互恵性については『モラルサイコロジー』や『自然主義入門』が、10~12章の道徳的実在論争については『メタ倫理学入門』がそれぞれ本書の理解の助けとなった。さらに知りたい方はそれらの本にすすんでみることをすすめる。

さて進化と倫理の組み合わせといえば非自然科学方面の一部ではあまり評判がよくない。その理由としてよくあるのは

・一度やって失敗してる。
・価値(規範)と事実には隔たりがある。
・道徳は文化によって多様だ(例:ある地域では通過儀礼で少年たちは近隣の村の無実の村人の首を切ることが要求される)。

などなど。また、これらの合わせ技で主張されることもある。

上で紹介した本でも記述的な探求の規範倫理学への短絡的な適用については警鐘を鳴らしているものの、「人間に不可能(もしくは非常に困難)なことを~べしというのは不毛だが、人間に何が可能なのかを明らかにするのは経験的探究であり、その知見を倫理学に貢献できる」のような見解をとり、説明を手短に済ませる事も多い。本書の類書にない特色は進化理論や道徳心理学を規範倫理学に適用する際の「地雷」について大変重く受け止めていることであり、スペンサーの失敗や、ヒュームやムーアの解説とそれらの見解に対する挑戦になんと4つの章を割いている。懐疑的な人に寄り添いすぎではないかと思う読者もいるかもしれないが、そういった方に理解してもらうにはこういうやり方が却って近道かもしれない。


第Ⅰ部では進化心理学、霊長類学、神経生物学の近年の研究を検討し、血縁者や見ず知らずの他人に親切にするといった一見進化心理学では説明できないのではと(自分のような門外漢には)思われる振る舞いをする生物を自然選択はいかにして生み出したのか、諸理論の紹介がされる。その際ただの紹介のみならず混同・誤解しがちな概念にはその都度注意を促したり、概念的考察もおこなっており、いわば道徳心理学についての個別科学の哲学のようなものになっている。例えば生物学の「互恵的利他性」という語は誤解を生むので見かけたら「互恵性」と読み替えることを提案したり、「適応」と「適応的であること」の混同に注意を喚起したりしている(高脂質の食べ物を好むことが「適応」だからといって石器時代ならぬ食べ物豊富なこの現代でチョコレートケーキやフライドチキンばかり食べることは「適応的」ではない)。
ミハイルやハウザーとジェシープリンツの道徳生得論争も日本語文献で紹介されることも多くなってきたが、それらの中間的立場をとるスティーヴン・スティッチとチャンドラ・スリパーダの共著論文が紹介されてるところが貴重だろうか。


第Ⅱ部では進化理論の規範倫理学とメタ倫理学それぞれへの含意が扱われる。6~10章ではスペンサーの何が間違っていたかや、ヒュームの法則、ムーアの自然主義的誤謬の解説がされ、それらに対するサールとレイチェルズの挑戦が紹介される。サールは「規範的制度」を使い演繹で規範を導けると考え(その議論は自分も前にここで紹介したことがある)、またレイチェルズは「そもそも演繹だけが推論じゃないし、演繹で導かれないような主張が正当化されないならどんな陪審も有罪の評決を下すべきじゃないしどんな科学理論も受け入れられない」とし、いわゆる「最善の説明を与える推論」を利用しようとする。
10~12章はメタ倫理学の道徳実在論が論じられるが、『メタ倫理学入門』にも登場するマッキーの反実在論がマイケル・ルースとEOウィルソンの共著論文に影響があったことなど思想史的にも面白い。
ただ現実離れした思考実験を使って対立する見解を批判する議論など哲学色は強く、面白い人には面白いがピンとこない人もいるかもしれない。特にリチャード・ジョイスが実在論者の基礎を否定する際に、道徳が現実にはどのようなものかについての信念は通常の仕方で引き起こされたものではなく「正当化された真なる信念」じゃないから反実在論をとるべきだという辺りは、正直まさかこんなところで知識のJTB説(Justified true belief)見ることになるとは思わなかった。認識論についての解説も少しはあるが、分析系認識論に少しでも馴染んでないとpについての信念がpという事実から通常の仕方で引き起こされてない事の何がそんなに問題なのか分からないんじゃないだろうかと思う。JTB説を乗り越える試みなどもかなり前から出ているし、またJTB説が標準的見解というのにも異論が出てきており*2反実在論を擁護するにしても少々筋悪ではないかと思った。
また進化論的な実在論を擁護する陣営では、アリストテレスの徳概念をより科学的に洗練させて進化理論と調和させる「自然化された徳倫理学」を展開しているウィリアム・ケースビアやフィリップ・キッチャーなどが紹介されており、徳倫理と進化などは水と油と思っていたので勉強になった。

本書は近年の進化理論、道徳心理学の成果を紹介・検討しつつ、そのような分野に懐疑的な人が気になるであろう部分に対する配慮も十分な、バランスの取れた入門書だと思う。

 

進化倫理学入門

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