谷口功一×宮台真司「郊外/格差/共同体」


11月1日、首都大学東京で行われた社会学者の宮台真司さんと法哲学者の谷口功一さんのトークイベントに行ってきました。以下はその時に聴きながらとった「メモ」です。
※ちゃんとしたテープ起こしではなく、情報の取捨選択には僕の価値判断が関わってるので、そういうものとしてお読みください。<谷口功一>

郊外、ニュータウンの問題について説明。
「自分にとっての郊外、ニュータウン」について。
リバタリアン新自由主義などについての説明。
速水健朗ケータイ小説的。」
「問題意識は面白い」
ドラゴンアッシュのグレイトフルデイズのリリック(俺は東京生まれHIPHOP育ち〜)を引用し、「昔は若者はロック=反体制だったが、今では共同体的、トライブ的になっていて違和感がある」<宮台真司>

ちょうど昨日「ケータイ小説的。」を読んだところだった。
説明が十分じゃない。ケータイ小説的なものとは関係性より事件性(レイプ・妊娠など)を持つということ。

社会・・・人間は社会に規定されている、変えられない。
300年後は人間の感情も変わってるかもしれないからニュータウンについて簡単に答え出せない。

96年はストリート的なものが終わった年。
都心/郊外または東京/地方の落差がなくなった。

96年以前のコギャル、チーマーは地域性がなく、よくしゃべる子が多かった。これは暴走族・ヤンキーが共同体的であるのと対照的。フィールドワークやってても楽しい。

96年以降、願望を折りたたんでいく。若い子はしゃべらなくなった。
安室奈美恵ロマン主義的)から浜崎あゆみ(暗い歌詞)へ。
社交的な子はストリートで遊ばなくなった。援助交際は自意識系の子がやるもの=かっこ悪いものになった。

話しても面白くないのでフィールドワークはやめた。
地方を回ってみたが、昔あったコミュニケーション、共同体がなくなっている。
日本は自殺率の高いうすっぺらくて実りのない社会。数字でいうと世界でも最低。
10年前南大沢を活況しようとショッピングモールを作ったが、実際出来て困惑してしまった。

しかし!若い世代にとってはいい所かもしれない。
自分にとってはいい所かわからない・・・。<谷口功一>

チェーン的なものばかりで、故郷になりえない。
しかし、新自由主義は肯定(せざるをえない)。
反対ばかりで自分の店をよくしようという努力をしない。つぶれて当然。
それに子供たちはニュータウンを楽しんでいる。
問題は人口減少を避けられないということ。どうやって人口を維持するか。<宮台真司>

新自由主義は肯定する。しかし、
バカが集まって市場を作るとバカな市場が出来る。
それなりの奴が集まるとそれなりの市場が出来る。
「バカすぎる状況を何とかしないといけないと思う」
20年前、食品・文化・技術の保障を考えるべきだったのに軍事・安全の保障だけを重視してしまった。「これはバカすぎませんか」
日米関係が郊外問題の背景。

実は東京・渋谷は歴史・共同体が意味を持っている。

新自由主義については誤解を正してほしい」
市場原理とはあまり関係がない。
いちいち国家が個人に介入してたらきりがないから、社会のぶ厚さを維持しようというもの。
経験・知恵を上の世代が伝えられなくなっている。「何で誰か言ってやれないんだよ」という状況に対するものが新自由主義

「アメリカでは宗教がある。日本では他に何がある?地域性しか拠り所がないだろう?」「このままでは死ぬ奴が増えるだろう」

リバタリアニズムで社会が回るよう仕込もう。家族の相互扶助を復活させよう。

両親が愛し合ってると思う子には恋人がいる子が多い。
両親が愛し合っていないと思う子には恋人がいる子が少ない。