『アレント 公共性の復権』

大学の社会思想史でアーレントをやるとのことで予習もかねて本書を購入。ところでアーレントアレント、日本での名前分かれてるみたいなんですが、自分はとりあえずアーレントと呼ぶことにします。本書は『全体主義の起源』、『人間の条件』など代表作が大体網羅されているかなり中身がギッシリ詰まった堅めのアーレントの入門書。アーレントによると古代のポリスでは衣食住や生殖といった「生命の必要」を私的領域に閉じ込めることで人は公的領域で自由に振舞えたらしく、政治に再び公的領域を取り戻すべきと主張する。簡単に言うと不特定多数の人々が集まる場や政治や社会について議論する場で利己的に振舞うなってことかな。

読みながら仲正昌樹さんを思い出した。仲正さんは著書(「不自由論」など)を読むとアーレントの「公的領域と私的領域」の考えに影響を受けているようで、アーレントを読めば仲正さんの思想的背景がわかり理解が深まると思うのだが、例えばアキバ事件で東浩紀さんがアキバ事件は容疑者の異常性の問題に押し込められないと朝日新聞に寄稿した時、それに対し仲正さんは『諸君!』で「心の問題と社会の問題は切り離すべきであり、秋葉原事件の本質は前者なのだから格差問題につなげるのはいきすぎ」と批判していた(ちなみに東氏は後に語るようにアキバ事件は格差社会論に還元できるとは思っておらず「格差」や「派遣」といった言葉は避けている)。
それに対し東さんは『SIGHT』誌vol.37で、仲正氏の批判は妥当であり受け止めるとしつつも、価値の流動化(ポストモダン化)した現代社会では公的な場の輪郭が失われ、ロスジェネやアキバ事件の容疑者は心の問題と社会の問題が区別できなくなっていること、それそのものが社会問題であり、私的な怨嗟と公的な議論は区別しなければならないが私的だからといって排除するわけにもいかない、ある種の二重戦略が必要だ、と少々アクロバティックな議論を展開していた。これは正統派アーレント主義者の仲正さんとアーレントを乗り越えようとする東さんという構図で読めるかも。公的な領域が失われていてもはや取り戻せないみたいな議論は大塚英志さんとの共著『リアルのゆくえ』での主張ともつながるね。

現代思想の冒険者たちSelect アレント 公共性の復権

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