RATIO 06 戸田山・伊勢田往復書簡

RATIOで戸田山和久氏・伊勢田哲治氏が往復書簡の連載をしていると知ってとりあえず最終回の載っている6号購入。これからまったりとコンプしていきたい。で、コンプした途端にまとまった本になったりしてね(笑)。


科学哲学では自分の知るところではとりあえず3つの対立があるといえそうだ。

自然主義と反・自然主義(もしくは第一哲学)
実在論者と反・実在論
・合理主義と相対主義


RATIOの連載では自然主義者にして実在論者の戸田山さんと反自然主義反実在論の立場の伊勢田さんの実在論論争が繰り広げられる。二人の立場やその差異がよくわかるし、科学哲学の勉強にもなる。ちなみに実在論自然主義は常にセットとは限らない。ラウダンなんかは自然主義者にして反実在論者だ。

しかしまあいきなり内容に無関係なんですが分析哲学のご近所ジャンルということで、論争のお手本のようというか、お2人とも明晰で整理された文章を書いておるなぁというか。読んでるとこっちまで頭良くなってくる気が(錯覚)。

実在論論争も興味深いが、どっちかというと同時並行的に行われている自然主義論争(?)のほうが個人的には興味深い。「科学的合理性」1本でいいんじゃね?という戸田山と科学的合理性の他に哲学的な「認識論的合理性」を(どちらが優れているというのでもなく)独立におくべきとする伊勢田。

伊勢田は科学を野球にたとえ、メタ科学=科学哲学をメタ野球と表現する。例えば、この球場ではホームランだったが、球場の大きさや形が違ったらどうだっただろうとか考えるのがメタ野球だ。

メタ野球は現実の野球と比べるとただの知的なお遊びですが、それにもかかわらず、野球というゲームの本質のある側面をこういう思考によって明らかにすることができるでしょうし、もしかしたらそれがルールブックの改訂という実質的な結果につながるかもしれません。
(伊勢田 第6信)

そして、プロ野球選手が必ずしもメタ野球のプロとは限らない、と主張し、自然主義者の戸田山に問い詰める。それに対し戸田山はその比喩を秀逸であり、ほぼ同意だとしながらも、野球と違って、科学というゲームは、それ自体が、何かを知ろうとするゲームであり、科学というゲームはすでに「メタ科学」を含んでいるとし、だとするとメタ科学を行うのが哲学者である必要はあるのだろうか、と答える。


オマケ。自分は戸田山・伊勢田の連載目的だったが以下の2人が目的で手に取ったという人のほうが多そうだ。むしろそういう人にとって戸田山・伊勢田の連載だけいらないって感じKA☆MO☆NE

安藤馨『あなたは「生の計算」ができるか?ー市民的徳と統治』

リベラリズムだなーって感じ(おい)。自分のことを忘れて読むとストイックでかっこいい(笑)。低レベルな批判などすでにお見通しで論理に組み込まれてるって感じ。

谷口功一『ショッピングモールの法哲学ー「市場」と「共同体」再考』

2008年11月の首都大の宮台対談トークイベントのレジュメの元ネタはこれか!谷口さんはコミュニタリアンにちょっと距離をおきサンデルブームにちょっと冷や水かけるような論調。ところでこれ書かれたのサンデルが政治哲学オタぐらいにしか知られてなかった2008年末なんだが谷口さんはサンデルブームをどう思ってるんだろう。ちょっと聞いてみたいと思った。