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丹治信春『クワイン ホーリズムの哲学』

読書

「入門書だからといって水準を落とすことなく、……名著です」戸田山和久*1
「アメリカ哲学はこんなに面白いのだ、カッコいいのだ!と大声で布教したい私としては、格好の一冊」三浦俊彦*2

分析哲学をひとつの円で表せばクワインウィトゲンシュタインなんかと並んでそのほぼ中心に立つような人なので、彼の活動を追うことは分析哲学史を辿ることといっても言い過ぎではないくらいだと思う。日本を代表するクワイニアンによる本書は丁寧な解説でクワイン哲学の全体像がみてとれ、貴重なエピソードも知ることが出来る。クワインの入門書はこれ一冊あれば他は要らない。

本書の多くのエピソードはクワインの自伝"The Time of My Life"(未翻訳)からとってきているらしいのだが、この自伝にはクワインが1959年に初来日した時の様子も仔細に書かれていて、黒田亘、大森荘蔵、吉田夏彦といった何人もの「若い哲学者」(日本の分析哲学第一世代)が登場するらしく、その一部は本書でも知ることが出来る。当時日本は実存主義などが流行っていてアメリカの哲学をやる日本人はとても少なく、アメリカの哲学者からみた日本の分析哲学の黎明期の様子が伺えて興味深い。そういう意味で、貴重な資料といえるかもしれない(自分は元ネタの自伝は未読)。ただ気になるのが、本書ではクワインの最初の教え子の一人鶴見俊輔との交流には一言も触れられていない。わざとなのか、丹治氏が知らなかったかはちょっとわからない。

分析哲学という分野の性格もあってか(?)大抵の人にとって(自分も含めて)、ほとんどの分析哲学者の人格がイマイチよくわかってない所があると思うんだけど、本書を読めば、クワインが面白い人だとわかってもらえるんではないかと思う。「外的世界についてのわれわれの言明は、個々独立にではなく、一つの集まりとしてのみ、感覚的経験の審判を受けるのだ」というホーリズムの哲学の解説にもかなり重点を置いているがそれはまたの機会に譲るとして、今回は本書を元に徹頭徹尾ワタクシの趣味でまとめたクワインの年譜をお楽しみください。

1907
オハイオ州アクロンで生まれる。少年時代はポーの詩に親しむ。

1923
ハイスクールでは学校新聞の編集をしたり、詩のコンテストで受賞したりする。

1926
オベリン大学入学。

1928
友人と40日間かけてアメリカ大陸横断旅行。行きは共同で買ったT型フォード、帰りは貨物列車に潜り込んだり、ヒッチハイクだったそう(Q:T型フォードはどうしたんですか?A:西海岸で売っちまったそうです

1929
今度はヨーロッパ旅行。クワインはかなりの旅行好きで、自伝(1985)によれば113ヵ国はまわったそうな。

1930
ハーヴァードの大学院に入学。ホワイトヘッドに師事。

1932
二年で大学院時代を終わらせる。二十三歳で博士号取得後、派遣奨学金でウィーンを訪れる。ウィーン学派にはあまり興味がなかったそうである。ウィーン学派のボス・シュリックの講義にも出たが、「ドイツ語の勉強になった」ケンブリッジにいたウィトゲンシュタインに手紙を送るがスルーされる(当時無名だったしなー)。

1933
プラハを訪れ、カルナップの講義を受け感激する。その後ワルシャワへ行き、ポーランド学派(ウカシェーヴィチ、レスニエウスキ、タルスキなどなど)を尋ね、歓待を受ける。

1939
ワルシャワにいたタルスキにハーバードで開かれる学会に参加するように説得。タルスキは渋々やってきたが、そのおかげでタルスキはナチスポーランド侵攻から逃れられた。ちなみにこの時期単身渡米していた鶴見俊輔を教えている。

1942
文化使節としてブラジルへ行き、サンパウロの大学で、英語で教えていいことになっていたにもかかわらず論理学をポルトガル語で教える。さらにブラジルに滞在した4ヶ月の間にポルトガル語で論理学の教科書を書き上げる。
1949
7ヶ月にわたる新婚旅行。砂地にタイヤがはまり込み、灼熱の中4マイル歩き、運良く通りかかったジープに助けられる。

1950
名誉学位の選考で「不完全性定理」のゲーデル名誉博士号を出すべきだ、と主張する。「時代の流れの尻馬に乗るより、今出すべきだ」と主張するが却下される。1年後、ゲーデルアインシュタイン賞を受賞。クワイン「だから言ったろうに、では尻馬に乗るとするか」

1951
「経験主義の二つのドグマ」発表。ローティやダメットも賞賛するこの論文でクワイン論理実証主義を内側から食い破った。
1953−54
オックスフォードで後にイギリス哲学界の大御所となるマイケル・ダメットを教える。フレーゲに興味を持っていたダメットのために遺稿管理者に手紙を書くなど手を尽くす。

1954
3月にはマンチェスターで講演し、そこで「暗黙知」論のマイケル・ポラニー夫妻や「チューリングマシン」で有名なアラン・チューリングに会う。7月にはヨーロッパ旅行でソ連軍管理下にある東ベルリンを訪れる。

1959
東京大学で一ヶ月の講義。鎌倉の黒田亘宅を訪問、大仏を見る。さらに、大森荘蔵、吉田夏彦、山本信らに誘われ、新宿のバーでみんなでカラオケ大会。岐阜で鵜飼い見物、伊勢神宮、真珠の養殖をみて、四国へわたり、宮島、別府温泉まで足を伸ばす。東京に戻り、石細工店で石仏や石灯籠を1トンほど買ってボストンに帰った。

1965
ロンドンでポパーが主催するシンポへ。ポパーの攻撃に冷静に対応するカルナップが、クワインの直にみた最後のカルナップだった。

1966 
吉田夏彦、ハーバードを訪れクワインと再会。個人的なディスカッションも。クワインはカルナップあての手紙で吉田を非常に優れた哲学者と紹介し、会ってみる事を勧める。そして吉田は実際にロスアンゼルスでカルナップに会う。

1969
パリのコレージュ・ド・フランスで講義。アルチュセールフーコーらと交流。

1971 
カリフォルニアでデイヴィドソンの指導でサーフィンを試みるが、成功せず。ちなみにこのとき63歳。

1972
ジャマイカで開かれた辞書学会に出席したついでに、ジャマイカの最高峰ブルーマウンテンに、雨の中を三日がかりで登る。64歳。

1980
ワープロの「奇跡」をはじめて見る。が、ペン書きの古い習慣から抜けられず。

1996
再来日。京都賞記念ワークショップで飯田隆らと議論。本書では触れられてないがこの時鶴見俊輔と半世紀ぶりに再会している。
2000
二十世紀最後のクリスマスの日に、亡くなる。


クワイン―ホーリズムの哲学 (平凡社ライブラリー)

クワイン―ホーリズムの哲学 (平凡社ライブラリー)

*1:『知識の哲学』読書案内より

*2:http://members.jcom.home.ne.jp/miurat/quine.htm