このシリーズは以前
サルトルのを買って当たりだったので、次にこの
ヘーゲルを買ってみたんだけどこれも結構よかった。本書では
弁証法の解説が中心で、
弁証法っていうのは一面的な、反省を経ない無媒介的な知を、反省し、他の知と媒介して、発展させること。一面的な認識から反省を通じて矛盾し合う二つの知の中にひとつの真理を見抜く、よりマクロな視点を持つことで矛盾する二つの知に筋道をつけ全体の中で矛盾を消失させる、といったことであるらしい。筆者があげてる例でいえば「勝った」「いや負けた」といった素朴で一面的な認識から、より高次な「負けるが勝ち」みたいな知を編み出したり、「花盛りである」「花盛りじゃない」といった素朴な認識からより高次な「確かに花が咲いている、しかし満開というよりは散り初めである」という認識を導く、みたいな。
ヘーゲルは一面的な見方に固執することを「悟性」とし、
弁証法で自らの制約を超え新たな認識へ歩み寄ることで「理性」に至ると考え、さらにこれを歴史に適用して、歴史とは
奴隷制から成熟した合理的な社会という自己統一へと発展する精神が実現していく大きな
弁証法であると考えたそうである。さすがにそこまで対象を広くするとちょっと無理がある気がするし、「理性」はその後、
構造主義以降の哲学者(
フーコーとか)に批判されることになるのだけど、日常のコミュニケーションの技術としては結構使えるんではないかと思った。最後に筆者は
ヘーゲル哲学の目指すところは生きることを学ぶということにあったと述べている。
ちなみにwiki見たら「ヘーゲルの哲学を理解するために、その内容から切り離されたいわゆる弁証法だけをとり出して、これを解釈したり論考したりすることは、むしろ不必要である。」と主張する学者もいるらしく、やっぱこれだけ読んで分かった気になっちゃいかんのだろうなあとも思った。